弁名:荻生徂徠を読む

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弁名は弁道と並んで二弁といわれ、荻生徂徠の思想をもっともコンパクトに表現したものである。弁道は道を弁じるという意味であったが、弁名のほうは名を弁じている。名とは、儒教的な概念をさしていう。荻生徂徠が、その名を弁ぜんと志したわけは、弁名の序文のなかで触れられている。それによれば、儒教の諸々の概念が、古と今とでは大いに変化してきている。概念の名称である名と、概念の本来的な内実である物とが乖離しているというのである。その理由は、今言が古言を正しく反映していないからだ。それ故、儒教概念の正当な内実を知ろうとすれば、古言に遡って、その本来の意義を解明しなければならない。その任に相応しいものは、日本と中国とを通じて自分・荻生徂徠しかいない。それ故自分は、中国の古に遡ることで、儒教的な概念をその本来の意義において解明しようとするのである。こういった徂徠の意気込みによって、この弁名という書物は書かれたのである。

上下二巻からなっている。上巻は道を中心として、その道に直接つながるような、もろもろの儒教的な概念について考究している。道は儒教の根本概念であり、その道を中核としてさまざまな概念が同心円的に重なりあうというのが儒教教義の体系である。そういう考えのもとに徂徠は、上巻においては、道を始めとした儒教の教義の体系的な展開を目指しているといえる。一方下巻では、人性、天命、陰陽など、儒教の教義にとっての前提となるようなことがらについての考究に主に当てられている。いわば儒教的世界観の土台となるようなものだ。その土台の上に、儒教の教義が成立していると徂徠は考えているようなのである。

道についての説明は、弁道のそれとほぼ重なる。即ち道とは統名であること、つまり孝悌仁義より礼楽刑政にいたるまでを併せたものの名であること、しかしてそれは先王・聖人たちによって人為的に作為されたものであることを強調する。人為的に作為されたことをことさらに強調するのは、道を天地自然の道としてその非人為性を主張する宋学への強烈な批判意識に基づく。徂徠は宋学を、老仏思想に毒されたものとして排斥し、儒教を宋学から解放して、その本然の姿に戻したいと考えているのである。徂徠の批判は、日本の儒者である伊藤仁斎にも向けられる。伊藤仁斎といえば、これもまた宋学に対抗して、古学の必要性を主張した人だが、その人をなぜか徂徠は厳しく批判する。宋学の衣鉢をかつぐ林家の官学ではなく、在野にあって宋学を批判していた伊藤仁斎を批判するわけは、学問的な動機からというよりは、もっと別の個人的な動機からといってよい面がある。徂徠は、仁斎に個人的な意趣を含んでいたのである。

道に続いて徂徠が弁じるのは(意外なようだが)徳である。徳というと、今言においては人徳を想起させ、なにか倫理的な雰囲気を感じさせる言葉になっているが、その本来の意味はそうではなく、獲得の得をさす。獲得は学ぶことでもたらされる。凡人は聖人とは異なり、自ら道を立てることは出来ない。聖人の立てた道を学ぶほかはない。かくして学んだ結果獲得するもの、それが徳だというのである。かれらが学びやすいように、聖人たちは礼楽刑政という形で、制度を残しておいてくれた。凡人たちはそれらを学ぶことで、聖人の定めた道を学び、それを実践することができるのだ。

徳の次に徂徠が弁じるのは仁である。仁とは、「人に長となり民を安んずるの徳」をいう。徳の一種ということは、学びとるものだということを意味する。学び取ったものを君子という。君子が学ぶものは聖人の立てた道であり、その道に従って民を安んじるのが君子の務めである。だから仁とは、君子の統治術を意味する言葉といえる。

今頃の儒者は仁を人の性となす。それは誤っていると徂徠は言う。ましてや宋儒が言うような理ではない。あくまでも徳である。徳とは学んで獲得するものであって、人性として人に帰属するものではない。

仁は道を実践することにかかわるが、その実践の中身というべきものが礼である。礼とは、凡人・庶民を導くためのマニュアルのようなものである。凡人・庶民は、君子のように自ら道を学び取る能力に欠けている。そのような人々を道に導くためには、寄らしむべし知らしむべからずの法が採用されるべきである。要するに外形的な模範を示して、それを日夜実践させることで、道が目ざすものに自然と導かれるというのが、礼の目的とするところである。

礼に似ているものに義がある。この両者を並べて礼義ということもある。礼は道である。義もまた道である。礼同様聖人の定めた道なのである。同じ道であるけれども、礼は心を制し、義は事を制すという。そう言われてもよくわからぬが、前後の文脈からして、礼は上に立つ者が下の者に示す道のあり方なのに対して、義は下の者が上の者に証立てすることを意味しているようである。礼は君子の道、義は臣下の道を言うわけであろう。

臣下の道に関連して、孝悌についても触れられている。孝悌の意味するところは誰でも知っているだろうといって、徂徠はその意味には触れずに、孝悌は天下を和順する基本だとしている。要するに孝悌が行われて初めて、天下が順調に調和するというわけだ。

孝悌に似た概念として、忠信、誠、恭敬、謙譲、武勇、公正といった概念が次々と披露されていく。それらの説明を読んでいると、徂徠の名分主義的な考え方が伝わってくる。徂徠の理想は、古の聖人が立てた道を、同時代の君子が徳として身に着け、礼義を活用しながら民を導くのが望ましいというものだ。そして民の方にも、正しい道に従うよう、孝悌以下の倫理的な要請にこたえるべきだとの要請を突き付けているように思える。

荻生徂徠は、道の人為性を強調することで、宋学のような形式的な名分論から解放されているように見えるのだが、その思想をよくよく見てみると、君子と庶民との間に名分的な秩序を求めるところが強くあって、かならずしも名分主義から脱却しているとは言えないようである。






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