MMTは有効な理論か

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MMT(現代金融理論)の提唱者ステファニー・ケルトン女史が来日し、日本経済にアドバイスしている。MMTというのは、財政赤字の拡大を容認する理論で、主流派の経済学者からは異端視されている。財政赤字を恐れず、どんどん公債を発行し、それを日銀が買うことで、積極財政を推進すべきだというのが、彼女の主張の要点だ。彼女の言うことが仮に正しければ、日本は膨大な国債の堆積を気にすることはなく、これからもどんどん赤字国債を発行し、積極的な財政運営をするべきだということになる。しかしながらそんな、打ち出の小づちのような都合のよいものがありうるのか。

こうした主張の根拠として女史があげるのは、次のような理屈だ。国の債務は、国民から見れば「資産」であり、いくら積みあがっても問題はない。国内の富が、国民から政府に付け替えられただけであり、国全体として負債が増えているわけではないので、問題はないという理屈だ。企業会計の理屈を一国の財政に適用したものといえる。一見して正しいように見えるが、実はそうではないことは、たしかに国全体としてはつじつまはあうにしても、国内で損をするものとそうではない者とが出て来るということを、この理屈は考慮に入れていないからだ。日銀が金をばらまけば、いずれかインフレになる確率は高い。そうなった時に、国の財政はなんとかつじつまを合わせられるが、一般の国民はインフレのつけを払わされることになる。

今回女史の言い分を聞いて驚かされたのは、この理論の正当性は日本経済の実情によって明らかになっていると言っていることだ。日本の公債発行高がGDPの二倍を超えていることは世界中が知っている。それでも破綻していないのは、MMTの理屈が正しいことを実証している証拠だ、と女史は言うのだが、果たしてそんなに単純なことか。

日本が巨額の政府債務を抱えながら破綻しないでいられるのは、実質的な金利負担がゼロだからだ。金利がゼロなのだから、いくら借金が増えても、元本以上に負債が膨れ上がることはない。元本の返済を迫られれば、新たな借金でそれを返せばよい。要するに自転車操業が、たいした困難もなくできるのだ。

しかし金利はいつまでもゼロではすまないはずだ。金利のない世界というのは、資本主義の世界ではありえない。もし半永久的に無金利の状態が続く世界があったとして、そう言う世界はもはや資本主義とはいえない。別の原理で動く世界である。資本主義というのは、資本が利子を生むことを内実としているのであるから。

仮に日本で金利が1パーセントになったとしよう。今の日本の公的債務残高は1100兆円だから、金利負担は11兆円である。これが3パーセントになれば33兆円に膨らむ。今の日本の実質的な歳入は60兆円くらいだから、この金利負担が日本財政にどんな事態をもたらすか、中学生でもわかる。自転車操業が立ち行かなくなるということだ。そうなれば公的な借金残高はうなぎのぼりになる。それは何らかのかたちでの落とし前をせまられる。もっとも可能性の高いものは、インフレだ。インフレで借金の圧力をしのぐことになるのは、自然の勢いというものだ。その場合でも、女史には、インフレを制御する手段はあるはずだと言いたいようだが、そんなに都合よく運ぶ可能性は、非常に小さいと見たほうがよい。

女史のこうした主張が受け入れられやすいのは、財政赤字のために緊縮財政を迫られている国の国民が、政府に積極財政を求める理由となるからだろう。緊縮財政を迫られるたびに、もっともひどい目にあうのは、いつも一般国民だ。株価が下落しても株屋はもうかるように、積極財政・緊縮財政を問わず、資本家はもうかるように出来ている。資本家がもうからなくなるのは、金利がゼロになるときだ。






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