ミツバチのささやき:ヴィクトル・エリセ

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ヴィクトル・エリセは寡作な映画監督で、生涯に三つの長編作品しか作っていない。そのうち一本はドキュメンタリー映画だから、通常の劇映画は二本だけだ。1973年の作品「ミツバチのささやき(El espíritu de la colmena)」は、かれの最初の作品。テーマは子供の目を通じての、スペイン社会の現実だ。この映画は1940年のスペインの田舎を舞台にしており、フランコ政権が樹立したばかりで、スペインはまだ混乱を脱していなかった。そんなスペインが子供の目にどう映ったか。それをこの映画はあぶりだしている。

主役はアナという五歳の少女だ。彼女はあまり年の違わない姉及び両親と暮らしている。父親はおそらく裕福なブルジョワで、ミツバチを飼うのを趣味としている。母親は不倫をしているようで、別れ別れになった愛人に届く宛のない手紙を書いたりする。かれらは夫婦としては破綻しているのだが、子どもたちの前では、親らしく振舞っている。そんな一家にはこれといった波乱は起こらないが、子どもにとっては毎日が新しいことの連続だ。村にやってきた映画の興行で、フランケンシュタインを見たり、学校では人体の解剖図を勉強したり。

一番大きな出来事は、畑の中にたっている廃屋に、逃亡者が隠れたひそんだことだ。その男と鉢合わせになったアナは、いろいろ男の面倒を見る。この男は、画面は詳しくは触れないが、どうやら反政府分子らしい。1940年といえば、まだフランコ政権の反対派狩りが行われており、この男もそうした反対派の一員なのだろうと思われるのだ。その男は官憲によって殺されてしまうのだが、そのことでアナはひどいショックをうける。その挙句一人であたりを放浪し、両親を心配させる。結局無事で保護されるが、幼い心に大きな傷を負ったというようなアナウンスが流れて映画は終るのである。

そういうわけで、スペインの内戦が一つのテーマなのだが、それは表面には浮かび上がってこないように作られている。1973年といえばフランコ政権がまだ生きていて、政権批判と受け取られるような作品は大っぴらには作れなかったのだ。もう一つのテーマは、幼い子どもの感性のようなものを描くことだ。その子どもの感性が、スペインの田舎を舞台にして情緒豊かに描かれる。スペインの田舎、とくに中央部の田舎は、一面の畑で全く起伏がない。こういう光景は、我々日本人にとっては非常に珍しくうつるのだが、かのドン・キホーテが闊歩していたのはこのような光景の中だったのだろうと思うのである。

この映画にはもう一つ、ブルジョワ夫婦の倦怠というテーマが込められている。その倦怠はどこかもの悲しい匂いがする。だからこの映画は、ブルジョワジーの密かな悲しみを描いているともいえる。かつてブニュエルが「ブルジョワジーの密かな愉しみ」と題した映画を作ったが、この映画はその向こうをはって、「ブルジョワジーの密かな悲しみ」を描いたというわけだろう。

なお、原題のEl espíritu de la colmenaは、ミツバチの精霊という意味。この映画には、幼い姉妹が精霊について語り合う場面が出て来るのだが、それを意識した題名なのだろう。姉のイサベラが、精霊は死ぬことはないとアナに言い聞かせながら、自分は死んだふりをしてアナを驚かす場面が出て来る。そういう場面からは、子どもに対するエリセの視点が透けて見えてくるようである。






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