狂言「茸」に続き、能「道成寺」を紹介する。能自体の概要については、別稿で解説しているので触れない。ここでは見ての印象を書く。その印象としては、もしオリンピック見物にやってきた外国人を観客に想定しているのなら、この曲は相応しくないということだ。というのも、一応劇的な見せ場はあるものの、動きに乏しい部分が多くて、よほど忍耐強い人でないと、最後まで見続けるのがむつかしいと思うからだ。
この曲のハイライトは、二つ。一つは白拍子の舞、もう一つはその白拍子が鐘の中に飛び込むところ。その白拍子の舞というのが、ほとんど動きがない。ほぼ三十分ほどのあいだ、事情に疎い観客は、あたかも静止画像を見せられているように、動きのない場面を見せつけられるのである。
白拍子が鐘の中に飛び込むシーンは、静的な場面に続いて、それとの対照として演じられるところにコントラストの妙を感じるわけだが、静的な場面にげんなりさせられた後では、なにがなにやら訳が分からぬかもしれぬ。
このように、独特な見せ場をもつところにこの曲の妙がある。日本の観客には結構人気があって、どんな能楽堂にも、この曲をのせることを前提にした細工が施されている。鐘を天井から吊るす仕掛けである。
なお、この日の演者は、シテが宝生流宝生和英、ワキが福王和幸、地謡はコロナをはばかって一列五人の構成だった。
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