ある中国女の一生:莫言「豊乳肥臀」

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小説「豊乳肥臀」の表向きの主人公は、語り手たる上官金童ではあるが、実質的な主人公はかれの母上官魯氏といてよい。というよりか、母親が体現している中国的なもの、中国の台地の悠揚迫らぬ寛容さにあるといってよい。母親が生きた中国現代史は、清朝の支配から抗日戦争、国共内戦を経て改革開放にいたる変転極まりない時代だったが、その変転につながっているすべての要素と、母親は密接にかかわりながら生きた。その生きざまは、おそらく平均的な中国庶民の生き方を濃縮しているのではないか。この母親の場合には、娘たちがそれぞれ漢奸勢力、国民党、共産党と結びつき、党派抗争の直接の当事者となった特異性はあるが、普通の庶民でも、なんらかの形でそうした党派抗争の当事者となる運命にあったわけで、その点では、彼女は特殊な例ではない。ただ、他の人に比べれば、典型性に増していたにすぎない。中国人としてのその典型的な生き方を、語り手の母親たる上官魯氏は見せてくれるのである。彼女の生きざまを見ることで我々外国の読者でも、中国の台地の息吹に触れるような思いになるであろう。

上官魯氏という名は、嫁ぎ策の姓と実家の姓を組み合わせたものだ。中国人女性はふつう、結婚後も父親の姓を名乗り続けるといわれるが、地方によっては父親の姓に嫁ぎ先の姓を重ねるらしい。彼女の養父は魯という姓で、嫁いだ先は上官という姓だったのである。彼女自身は孤児なので、叔父夫婦に育てられた。結婚は叔父夫婦の意志にもとづくもので、彼女が夫を愛することは決してなかった。そればかりか、無能なくせにいばってばかりいるこの夫を、彼女は心から軽蔑し、夫が舅共々日本兵に殺されたときには、せいせいしたほどだったのである。その夫は、いわゆる種なしであったので、彼女は子供を授かるために、夫以外の男に種を求めることとなった。そこで、叔父の種を始め数人の男の種から、合計九人の子どもを生んだのだった。当時の中国女にとって、子供のいないことは、生きる価値を持たないことを意味したらしいので、そのようにしてまで、子を持つことを望んだのである。それも男の子を持たねばならないという強迫観念があった。そこで母親は、七人の子を産んだ後、八人目には男の子を望んで、男女の双子を生んだのだった。小説の語り手上官金童は、そのかたわれの男の子だったのである。

ともあれ母親は、双子を生んだその時に、日本兵によって夫と舅を殺されるのであるが、生まれてきた双子を始め、その七人の姉たちはみな無事だったので、それらの娘を育てながら、それに加えてやがて娘らが生むことになる子供、つまり孫までも育てながら、たくましく生きていくのである。

小説の本文は、母親が双子を生むことから始まり、95歳で死ぬまでの生き方を描いていくのであるが、最後に付せられた余禄のところで、娘時代のことが触れられる。実の親を失って叔父夫婦に育てられたこと、叔父が彼女を鍛冶屋に嫁入りさせたのは、鍛冶屋の経済力を見込んでのことで、彼女の気持ちを汲んだものではなかったこと。その夫が種なしだとわかると、叔母にそそのかされて叔父が種付けをしてやること。そうしなければ離縁される危険があったためだ。彼女は叔父の子を二人身籠った後、他の男の子を身籠り続ける。子どもたちにそれぞれ性格の違いがあるのは、種の違いによるものなのだ。彼女が最後に選んだのはスウェーデン人の牧師マローヤだった。その種から生まれた双子が金髪の相の子だった。語り手が金童と名づけられたのは、金髪だったからだ。

九人の子どもを抱えた上官家の暮らしはきびしい。抗日戦の時には日本軍の襲来におびえねばならぬし、国共内戦が始まると、国共の間に挟まれて右往左往せねばならない。上官家の娘が国民党と共産党のそれぞれと婚姻関係を結ぶので、上官家の立場は微妙なのだ。それでも国民党が優位なときにはいくらかましだった。共産党が優位に立つと、かつて暮らし向きが豊かだったと思われた上官家はなにかと迫害の対象となるのだ。もっともきびしかったのは毛沢東時代で、大躍進時代の食糧難の時代には、娘を二人も売らねばならなかった。文化大革命の時代には、ブルジョワ反動分子として血の迫害を蒙った。そういう場面を読んでいると、中国人というのは、隣人に対して人間的な感情を持たぬ不寛容な種族だという印象を強くうける。日本でもいわゆる村八分のような迫害は歴史上珍しくはなかったが、この小説の中の中国人たちのように、同じ村の人々が血で血を洗う戦いを展開するというようなことはほとんどなかったのではないか。

さて、母親は自分の生んだ子を育てるばかりではない。娘たちの生んだ子や、場合によっては血のつながりのない孤児を育てることともなる。子を育てることこそ、中国女に天が与えた聖職であるといわんばかりに、母親は何の疑問も抱かずに、黙々と幼い子供たちを育て、時にはそれらの子どもたちが殺されるのを、悲しい目で見つめねばならなかったのである。二女が生んだ司馬庫の双子は共産分子に殺されてしまうし、その司馬庫の忘れ形見司馬糧も不吉な死をとげる。

苦難に満ちた母親の生涯にとって唯一心慰む年月はマローヤと過ごした日々であったが、そのマローヤも愛人の自分が強姦されている場面を見せつけられながら死んでいくのである。そのマローヤが、金童には兄にあたる子を残していた。金童は小説の最後でその兄に会うであろう。

こんな具合でこの小説は、激動する現代中国をたくましく生き続けた一人の女のクロニクルでもある。彼女は中国の分裂を一身に体現しながら、その分裂にあらがって人々を結びつけようと努力した。その努力がかならずしも報われなかったことは、彼女がまともな葬られ方をされなかったことにあらわれているが、それでも生きることには意味があり、また生きられた人生には輝きがある、そういうようなメッセージがひしひしと伝わってくるような作品である。






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