滝沢琴嶺像:渡辺崋山の絵画世界

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滝沢琴嶺は、馬琴の長男である。崋山とは、画家金子金陵門の同輩である。後に崋山の肖像画を描いた椿椿山も、金陵の同門だった。崋山は琴嶺と付き合う一方、その親の馬琴とも、親しい友人になった。その馬琴に依頼される形で、琴嶺像を描いたのである。

というのも、琴嶺は天保六年(1835)に36歳で死んだのだったが、その死に顔をもとに肖像画を描いてくれるよう、馬琴に頼まれたのであった。崋山は、琴嶺の死顔を詳細に観察し、また生前の面影を想起しながらこの肖像画を描いた。崋山にはほかにも、死後に描いた肖像画があるようだ。

琴嶺は、松前藩のお抱え医師として仕える一方、画家としても活躍した。しかしその画業はほとんど注目されることはない。父親の馬琴とは違って、才能に恵まれていなかったのであろう。

この肖像画は、全身像であるが、それは死顔をもとにしたために、リアルさに欠けるところを、全身を描くことでカモフラージュしたということらしい。なお、琴嶺は妻子を残した。かれの残した妻が、盲目の馬琴のために小説を代筆したことはよく知られている。

(天保七年 絹本着色 107.3×45.2㎝ 個人蔵)






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