法華経を読むその二十六:陀羅尼品

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陀羅尼とは、サンスクリット語のダラニという言葉に漢字を当てはめたもので、総持とも訳される。意味は、教えを心にしっかりと保持することを言う。具体的には、呪文のような形であらわされるので、神呪とも言われる。「法華経陀羅尼品」第二十六は、そうした呪文を集めた章である。呪文はいずれも、法華経を受持する人を守護することを目的としたものである。だから、法華経受持者のための呪文集といってよい。

まず、薬王菩薩と釈迦仏との対話があり、その中で薬王菩薩が法華経の説法者に与える陀羅尼呪を披露する。それによって説法者を守護するためである。曰く、「安爾 曼爾 摩爾 摩禰 摩摩禰 旨隷 遮梨第 賖咩(シャミャ) 賖履多瑋(シャビタイ) 羶帝 目帝 目多履 沙履 阿イ沙履 桑履 沙履 叉裔 阿叉裔 阿耆膩 羶帝 賖履 陀羅尼 阿盧伽婆娑簸蔗毘叉膩 禰毘剃 阿便多邏禰履剃 阿亶多波隷輸地 ウ究隷 牟究隷 阿羅隷 波羅隷 首迦差阿三磨三履 仏駄毘吉利失帝 達磨波利差帝 僧伽涅瞿沙禰 婆舎婆舎輸地 曼多邏 曼多邏叉夜多 郵楼多郵楼多 憍舎略悪叉邏 悪叉冶多冶 阿婆盧 阿摩若那多夜」

四十三の言葉が並んでいるが、いずれもサンスクリット語の呪文をそのまま漢字に置き換えているので、漢字からは意味を読み取れない。鎌田茂雄が「法華経を読む」のなかで紹介している庭野日敬による日本語訳は次のとおりである。「不思議よ、思う所よ、心よ、無心よ、永遠よ、修業よ、寂静よ、淡白よ、変化よりの離脱よ、解脱よ、済度よ、平等よ、無邪心よ、平和よ、平等よ、迷いの滅尽よ、無尽の善よ、解脱の徹底よ、奥深く動揺せざる心よ、淡白よ、総持よ、観察よ、光輝よ、自信よ、究竟清浄よ、凹凸なき平坦よ、高下なき平坦よ、転回なき心よ、旋りて処を得る心よ、清浄の目よ、等しくして等しからざるものよ、悟りの絶対境よ、しかも学ぶ真理の道よ、教団の和合よ、明快なる説法、万徳の具足よ、万徳具足に安住する心よ、無限の働きよ、響き渡る声よ、大衆の声に対する明察よ、大衆に与える教えの全き選択よ、尽くることなき教えよ、思わざるに法に従う自在の境地」

一つ一つの言葉にはそれぞれ意味があるが、それがつながると意味が消えていく、不思議な言葉である。ただ、説法者を叱咤する雰囲気は伝わって来る。

次いで勇施菩薩が陀羅尼呪を披露する。この呪文を唱えれば、どんな悪魔でも説法者の修業を妨げることはできない。これは、庭野日敬による日本語訳のみを紹介しよう(以下同様)。「光耀よ、大光耀よ、炎光よ、照明よ、大自信よ、美に満てるものよ、歓喜よ、永続する歓喜よ、教えの安住よ、教えの節度よ、教えの無妥協性よ、教えの純潔性よ」

続いて毘沙門天が陀羅尼呪を紹介する。曰く、「富裕よ、遊戯よ、無量の価値よ、最も富みたるものよ、比較を絶する富よ」。これは一読して富について説いているように思わるが、その富とは法華経の蔵する無限の功徳をいう。

続いて持国天が陀羅尼呪を披露する。曰く、「無数の、多数の、暴悪のものよ、持香のものよ、黒耀の星の光を持つものよ、いのりの力よ、大意を,順述せよ、最高の真理の」。

最後に十人の羅刹女が鬼子母や眷属たちとともに現われ、法華経の説法者を守護したいと申し出る。羅刹とは人を食う鬼であり、鬼子母とはもっぱら子どもを食う鬼である。その食人鬼たちが、心を入れ替えて、法華経の守護者になろうというわけである。彼女らの説いた呪文はつぎのようなものである。曰く、「この人に、ここにおいて、この人に、この人々に、この人に、無我よ、無我よ、無我よ、無我よ、無我よ、すでに興りぬ、すでに興りぬ、すでに興りぬ、すでに興りぬ、隠して立つ、かくして立つ、かくして立つ、害を加うるものなし、害を加うるものなし」

呪文を唱えたうえで、法華経の説法者に害を加えることなかれと重ねて強調し、さらに次の偈をもって説法者を保護すべき旨を主張する。曰く、
  若し我が呪に順ぜずして 説法者を悩乱せば
  頭破れて七分に作ること 阿梨樹の枝の如くならん
  父母を殺する罪の如く 亦油を壓すの殃(つみ)
  斗秤もって人を欺誑し 調達が破僧罪の如く
  此の法師を犯さん者は 当に是の如き殃を獲べし
  我らが呪文を無視して、説法者を悩乱するものは、父母を殺すに劣らない罪を犯すのだとして、法華経の説法者への保護を求めているのである。

羅刹女らはさらに、釈迦仏に向かって次のように言う。「世尊よ、我等も亦、当に身自ら是の経を受持し、読誦し、修行せん者を擁護して、安穏を得、諸の衰患を離れ、衆の毒薬を消せしむべし」

これに対して釈迦仏は、次のように言って彼女らをたたえた。「善い哉、善い哉、汝等よ、但、能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福は量るべからず。何に況んや、具足して受持し、経巻に華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・幡蓋・妓楽を供養し、種々の燈・蘇燈・油燈・諸の香油燈・蘇摩那華油燈・瞻蔔華油燈・婆師迦華油燈・優鉢羅華油燈を燃し、是の如き等の百千種をもって供養せん者を擁護せんをや。皋諦よ、汝等及び眷属は応当に是の如き法師を擁護すべし」

以上、「陀羅尼品」の内容を釈迦仏が説き終わると、六万八千人の人々が無性法忍を得たのであった。無性法忍とは、仏教の真理を得て、心の安らぎを得ることである。






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