大理石の男:アンジェイ・ワイダの映画

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アンジェイ・ワイダの1977年の映画「大理石の男」は、1950年代の社会主義建設期におけるポーランド社会を批判的に描いた作品。この時代は、ポーランドにとって輝かしい時代であってよかったはずなのだが、なぜかタブーに近い扱いを受けているようだ。そのタブーを犯したのがけしからぬということか、この映画は上映禁止処分を受けたという。その禁止をかいくぐって、1978年のカンヌ映画祭で特別上演され、高く評価されたといういきさつがある。

テーマは、1950年代に多く出現した「労働英雄」である。この時期国家の再建に向けて建設事業が盛んになり、国民には旺盛な労働意欲が求められた。政権は、高い労働生産性を発揮した労働者を「労働英雄」として顕彰し、一般の国民の模範にしようと努めた。映画はそんな労働英雄の一人について、その数奇な半生を描いたものである。

1970年代後半のポーランドに生きる一女性が、ある労働英雄に強い興味を抱いたことから始まる。その女性は映画学校の生徒であり、卒業制作として、1950年代の一労働英雄に密着取材したドキュメンタリー映画を作ることを決意する。指導教官はそんな彼女に対して、当初は好意的だったが、彼女のめざしていることが明らかになってくると、映画の制作を妨害するようになる。理由は、1950年代に深く触れることがタブーとされているからというのだ。それでも彼女は、自分の意思の実現にこだわる、というような内容だ。

映画は、彼女が美術館を訪ねるところから始まる。その美術館の地下倉庫に、労働英雄たちの彫像が集められているのだ。その彫像のほとんどは大理石に刻まれている。その像の中に、労働英雄マテウシ・ビルクートがあった。彼女はそのビルクートの半生をドキュメンタリータッチに描くことで、1950年代のポーランド社会の雰囲気を表現しようとしたのだ。

ビルクート本人には会えなかったが、かれとかかわりのあった人々からビルクートの話を聞いてまわる。まず恩師の映画監督ブルスキその人が、ビルクートに密着取材したドキュメンタリー映画を作っていた。その映画を見る傍ら、かつてビルクートと深いかかわりをもった人物を訪ねまわり、ビルクートに関する情報を集積する。その結果、ビルクートの事績が明らかになるどころか、不思議なことだらけなことに彼女は驚く。ビルクートの労働英雄としての半生は不可解な出来事に満ちており、しかも最後には突然行方をくらましてしまうのだ。どうやらビルクートは政治的なキャンペーンの犠牲者になったらしいのだが、ビルクートにはそれについての自覚はなく、ただただ世の中の動きに翻弄されるばかり。そんなビルクートは、あたかもカフカの小説の主人公たちを思わせる。カフカの小説の主人公たちは、ボルヘスの言葉を借りれば、不可解な状況を生きているということになるのだが、それと同じように、この映画の中のビルクートも不可解な状況の中で、わけのわからぬことに振り回されるばかりなのである。

そんなわけでこの映画は、1950年代のポーランドをある種のディストピアとして描いている。それが権力の気分を害するのは自然なことだ。

タイトルの「大理石の男」とは、大理石に自分の肖像を刻まれた労働英雄のことを意味する。そうした労働英雄たちは、時代の変化のなかで過去の遺物として忘れ去れら、かれらの彫像も美術館の地下に捨て置かれる運命に見舞われたというわけである。





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