竹久夢二の美人画

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竹久夢二は、もともと商業デザイナーとして出発したこともあって、芸術家としての評価はあまり高くなかった。本人もそのことは自覚していたようで、芸術家としての名声を求めていたわけではなかった。だから、画家をはじめ、高名な芸術家と交際することはほとんどなかったし、自分の作品の芸術性を高めようという意欲も無かったに等しい。本人がその程度の自覚だから、社会が夢二を画家として高く評価することも、すくなくとも夢二の生きている間はなかった。夢二は、婦人雑誌の表紙とか、日常品の装飾とか、商業的な分野で仕事をしているマイナーなアーティストとしてしか見られていなかったというのが実際のところである。夢二がユニークな芸術家として世間に認められるのは、1960年代以降のことである。その頃に、デザインの分野で一時代を切り開いたアール・ヌーヴォーが再評価されるようになった。夢二もユニークなデザイナーとしての才能を、評価されるようになったわけだ。だが、今にいたるまで、夢二のデザイナーとしての名声は、日本国内に限られており、海外ではほとんど無名のままである。

夢二は、その独特な画風を自力で確立した。かれは、専門の美術教育を受けたわけでもなく、また、芸術家たちと深い交わりを結んだわけでもなかった。造形については、天性の才能があったらしく、それを生かして、独自の画風を確立した。夢二の商業アーティストとしての仕事は、1905年二十一歳の時には始まっている、その時には、後年夢二の特徴といわれるものがすでに出揃っている。その画風を夢二がどのように身に着けたか、詳細はわからない。ある種の天才だったというほかはない。

夢二は、若い頃に一時社会主義思想にかぶれたようだが、1911年におきた大逆事件にショックを受けて、以後社会主義を公然と語ることはなかった。また、かれの画風に社会主義の片鱗を見ることもない。したがって、夢二を社会主義思想と結びつけて解釈することは的を外れているといわねばなるまい。

夢二の人間性に注目するのなら、かれの女性遍歴を見たほうがよい。夢二はそんなに多くの女性とかかわったわけではないが、しかし、常に身辺に女性がいないと落ち着かないタイプの男だったようだ。正式に結婚した岸たまきのほか、二人の女性と同棲した。その関係は、肉体的なものというより、精神的な要素のほうが大きかったようだ。夢二の相手となった女性たちは、少女のような天真爛漫さをもっていたようで、そんな女性を夢二が愛したということは、かれの少女趣味の現れを物語るのであろう。じっさい夢二の絵のモデルたちはみな、少女のようなあどけなさを感じさせるのである。

というと、夢二がいかにもヴァガボンドなプレイボーイのように思われがちだが、写真にうつった夢二の顔は、プレイボーイというよりは、そのへんのおっさんといった風情である。とても芸術家タイプには見えない。その辺のところに、夢二の不思議さがある。

夢二の絵のモデルは、たまきのほか、二人目の恋人彦乃、及び三人目の恋人お葉が主につとめたようだ。夢二にはこれといった画風の変遷は指摘できないのだが、しかし時期によって雰囲気が微妙に違って見えるのは、モデルの醸し出す雰囲気によるのだと思う。たまきと彦乃はいかにも少女らしい雰囲気を発散させている。それが夢二前半の少女的な絵の世界を作りあげている。一方お葉は、成熟した女性という面も感じさせる。彼女には男を引き付ける独特な魅力があったようだが、その魅力は当然エロチックなイメージを歓喜させるので、夢二後半の作品には、エロチシズムを感じさせるものもある。もっともかれの絵の醍醐味が、あくまでも少女的な天真爛漫さを基本にしていることに変わりはないのだが。

竹久夢二の生涯は、波乱に富んだものではなく、どちらかといえば地味なものだったが、それでも結構移動を繰り返している。かれが特に愛した土地は京都と長崎だったらしく、たびたび訪れている。長崎では、土地の素封家永見徳太郎の世話になり、その謝礼にと、「長崎十二景」及び「女十題」シリーズを贈呈している。夢二の代表作が含まれている。

晩年、といっても四十七歳の1931年に、夢二は欧米旅行に出かけ、二年半後に日本に戻ってきたが、どうやら結核が悪化していたようで、帰国の一年後には死んでいる。だからこの欧米旅行は、夢二にとっては、死出の旅になった。夢二自身は、若い頃から欧米にあこがれており、特に欧米の新しい芸術運動からインスピレーションを受けたいと願っていたようだが、そんなかれをとらえたのは、芸術上のインスピレーションではなく、死神だったわけである。

上述したように、竹久夢二の画風には大した変遷は認められないが、それでも一点ずつ微妙に異なった雰囲気を感じることができる。その雰囲気の違いを、このサイトに収めた作品を通じて味わっていただければ幸いである。

そんなわけでここでは、竹久夢二の代表的な作品を取り上げ、ひとつずつ鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。






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