徳田秋声「黴」を読む

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長編小説「黴」は、徳田秋声の自然主義作家としての名声を確立した作品である。夏目漱石の手引きで東京朝日新聞に連載していた当時はあまり評判にはならなかったが、単行本化されるや俄然賞賛を浴びた。以後秋声は、文壇の自然主義への流れに沿って、順調な作家活動をしてゆく。

基本的には私小説と言えるものだ。妻(はま)との出会いや結婚生活の様子が書かれている。前作「足迹」の続編と言ってよい。「足迹」のお庄が、この小説ではお銀という名で出てくる。「 足迹」はお庄が最初の結婚に失敗して婚家から逃げるところまでを描いていたが、この作品は、その後、女が秋声の分身と思われる作家志望の男と出会い、ずるずると同棲した挙句、子どもを二人まで産むところを描く。

小説は、女ではなく、男すなわち秋声の分身の視点に沿って語られる。「足迹」では女の視点に立っており、そこに色気のようなものを感じることもできたが、この小説は男の身勝手な感情をぶつけるように書いているので、小説としての潤いはあまりなく、かえってギスギスした印象のほうが強い。主人公の作家が、打算的で冷酷なところの強い男になっていることもあろう。秋声自身、自分をそんな男として自己認識したものか。

ほとんど人間的な魅力を感じさせない男の視線に沿っているので、全体としてはメリハリに乏しい、屈託をさそうような小説である。こんな小説が、自然主義の名を冠してもてはやされたということに、いささか奇異の念を感じる。「足迹」のように女の視点から描いておれば、多少とも色気が出たかもしれない。秋声自身は、これを客観小説の衣をかぶせて書いているが、内容はかれ自身の私事にかかわることであり、あくまでも私小説のつもりで書いたようだから、どうしても自分の気持を素直に出したくて、男の視点に立たざるを得なかったのであろう。

ともあれ、この小説を読むと、明治時代における日本の夫婦関係とか家族のあり方が生き生きと伝わってくることだけはたしかだ。人はこの小説を通じて、一時期までの日本人が血縁関係を中心にして暮しており、結婚から仕事の世話、困ったときの援助まで、血縁者の力に頼っていたということがよくわかる。日本人はいまだに自己責任を強調する傾向があるが、その自己の範囲には血縁集団も含まれるわけで、要するに血縁集団のなかですべてを解決せよと言っているわけだ。

血縁関係の基礎は、家庭にあるわけだが、家庭とは、夫婦を中心にして、その子どもを入れた核家族、核家族に夫婦の親を入れた大家族、そして大家族と大なり小なり血縁関係を持つ親戚の集団から構成されている。徳田秋声の小説では、血縁集団の範囲はせいぜい夫婦それぞれの三親等の範囲に限られているのだが、その範囲内の人間関係はかなり濃密である。

この小説のミソは、夫婦関係がしっくりいかず、絶えず葛藤を繰り返していることである。その原因を主人公の男は、育ちの違いに帰している。主人公の男は、一応厳格な教育を受けたということになっているが、女のほうはろくな教育を受けておらず、また礼儀をわきまえないようなところがある。それが主人公には気に入らない。徳田秋声とはまとの関係もそんなものだったようだ。秋声は金沢の没落武士の家に育ち、貧乏とはいえど、武士由来の気骨はもっていた。妻のはまは信州の田舎の庶民の出身であり、堅苦しさとは無縁である。その無縁なところが、こやかましい秋声にとっては、ふしだらに映るようである。そこからくるイライラの気分が、この小説には充満している。夫婦関係を描きながら、この夫婦は始終喧嘩をしては、別れ話ばかりしているのである。

小説のなかで、主人公の男が出身の地に里帰りする場面が出てくる。秋声はどこそことは言っていないが、土地の描写ぶりからして、そこが金沢であることは明らかである。秋声による街の描写を読むと、秋声はあまり金沢へのこだわりは持っていなかったようだ。川端康成は、秋声が金沢の武士の家系の出自であることを過大に論じたが、秋声本人にはそんな意識はなかったようだ。秋声は基本的には、庶民的な気風の作家といってよい。

だが、それにしては、秋声の文体は古風である。たとえば漱石の文章と読み比べても、秋声の文章のほうが古さを感じさせる。これは故郷の言葉にひかされているのか、あるいは硯友社流の修飾的な文体の影響を受けているのか、興味深いところである。

秋声の文章には、「倒叙」とか「錯綜する時間」とか呼ばれた独特の時間処理がある。それがこの小説の中では効果的に使われている。これは、映画でいう「フラッシュバック」のようなもので、現在進行形の語りの中に、過去の出来事をからますというやり方である。一例を示すと、第七十六節の冒頭に、「夏の初めに、何や彼やこだわりの多い家から逃れ、ある静かな田舎の町の旅籠屋に閉じこもった」ということが言及され、それに続いて、そんな気持になったきっかけの出来事が懐古的に触れられたあとで、再び夏の初めに舞い戻って、その旅籠屋では、「日暮れになっても、雨はしとしとと降っていた」という具合に始末をつけるのである。

なお、題名になった「黴」とは、主人公の田舎の実家の雰囲気をあらわした言葉である。没落武士だった自分の家を、黴という言葉で象徴させたかったのであろう。だからこの題名は、小説の内容とはほとんどかかわりを持たない。






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