ジミー 野を駆ける伝説:ケン・ローチの映画

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ケン・ローチは、アイルランドの独立と内戦をテーマにした「麦の穂を揺らす風」を2006年に作ったが、それから八年後の2014年には、同じくアイルランドの内戦にかかわりのある作品「ジミー、野を駆ける伝説(Jimmy's Hall)」を作った。ケン・ローチ自身はアイルランド人ではないのだが、アイルランド問題を現代イギリス社会の矛盾を象徴しているものととらえ、強いこだわりを持ったのであろう。

この映画は、独立戦争には直接触れず、内戦にともなうアイルランド人の深い分断を描いている。アイルランド人の分断は、まず宗教的な分断の形をとり、それが南北の分裂となって現れたのだったが、カトリックの内部でも、深い分断が現れた。こちらは宗教に伴うというよりは、ある種の階級対立に伴うものだった。地主と教職者を中心にした支配層と、小作人や労働者を中心にした被支配層との間の分断である。この映画の主人公ジミーは、小作人や労働者の代表として、地主や聖職者による圧政に立ち向かっていくのである。

映画の舞台は、1932年のアイルランドの地方の村落。内戦が終わって10年が経っていたが、社会の分断は深まるばかりであり、アイルランドは真に国家的な統一を果たせていなかった。地主が小作人を迫害し、聖職者が人々の心を支配すようとしている。そんな現状に意義を唱え、小作人や労働者が人間らしく生きられる運動を、主人公のジミーが実践し、それが村落の支配層によって粉砕されるさまを映画は描くのだ。

ジミーは、地元の人々にとっての英雄的な存在だった。内戦の際には、反英国派のリーダーとして活躍した。英国派は、地主や聖職者によって占められており、反英国派は、小作人や労働者たちからなる、というふうに一応区別されている。現実はそんな単純なものではなかったと思うが、この映画では、そのように設定されている。だから、ジミーや彼を支持する人々は、支配層からアカよばわりされ、非道な仕打ちを受けるのだ。

ジミーは、10年ぶりに故郷の村落に帰ってきたことになっている。弾圧を逃れてアメリカに行っていたのだ。彼が戻ってきた理由ははっきりしないが、おそらくアメリカも大恐慌に見舞われて居心地が悪くなったからだろう。そんな彼を、昔の仲間たちは大歓迎し、地主や聖職者たちのグループは敵視する。そんな地主や聖職者たちを、地元の人々は社会の癌だというのである。

ジミーは、昔の仲間たちに支援されて、かつて社交の場であったホールを再建する。そこはダンスやゲームなどのほか、教育的な機能を果たしていたのだ。それを地主は小作人たちの不穏な動きととらえ、聖職者は教会への挑戦と受けとめる。その挙句に、地主たちはホールを焼き払い、ジミーを国外追放処分にするのだ。

というわけで、1930年代のアイルランドにおける、深刻な社会の分断を描いた映画である。戦後有名になったIRAが、この映画にも出てくるが、あまり重要な意味は持たされていない。





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