レヴィ=ストロースのサルトル批判

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レヴィ=ストロースが広範な影響力を発揮した著作「野生の思考」の中でサルトル批判を行ったことはよく知られている。そこでサルトルが反論を行い論争になったが、その論争はかみ合わなうことがないままに、なぜか世間ではレヴィ=ストロースのほうが勝ったという判定をした。実際、サルトルはその後の哲学界で影が薄くなっていくのである。

「野生の思考」の中でレヴィ=ストロースがサルトルを直接批判した部分は、第九章の「歴史と弁証法」である。この論文の中でレヴィ=ストロースはサルトルの歴史主義を批判のターゲットにした。サルトルは、1960年に「弁証法的理性批判」を書いており、その中でマルクス主義的な歴史観を肯定的に論じていた。マルクス主義的な歴史観とは、単純化して言えば「進歩史観」であって、歴史を連続的な発展としてとらえる。人間は原始的で単純な社会から、次第に高度に発展した社会へと連続的に発展するとする見方である。この見方によれば、レヴィ=ストロースが「野生の思考」と呼んだ「原始社会」の思考は、現代人の思考より劣っているということになる。そういう見方がレヴィ=ストローズには我慢ならなかった。いわゆる「原始社会」の思考も、基本的には現代ヨーロッパ社会の思考と優劣の差があるわけではなく、社会システムを動かす原理の相違があるだけで、そのシステム相互には優劣などつけられるわけはない。

レヴィ=ストロースは言う、「野生の思考の強硬な拒否の態度にこそ、弁証法的理性はその真の原理を見出すのである」(大橋保夫訳)。こう言うことでレヴィ=ストロースは、サルトルの単純な進歩史観に強烈な反感を示すのである。

こうした進歩史観は、サルトル自身が次のような言葉であらわしていたところである。「諸集団の多様性と、各社会の通時的な進化とが、一つの概念的知の上に人間学を打ち立てることを禁じている。たとえばミュリア族と現代社会の歴史的人間とに共通の<人間性>を発見することは不可能であろう」(「方法の問題」平井敬之訳)。つまりサルトルは、ミュリア族と現代的人間とは違う発展段階にある(優劣の関係にある)のであり、両者を同じ「人間性」という基準によって同等に扱うのはナンセンスだと認めているのである。

したがって、サルトルに対するレヴィ=ストロースの批判には、人間は基本的には同じ原理({人間性」という共通原理)によって説明できると考えるならば、理由があることと言える。レヴィ=ストロースによればサルトルは、未開人と現代人とは全く違う生きもののように考えている。そういうサルトルの考えをレヴィ=ストロースは厳しく批判する。「未開人が『複合的認識』をもち、分析や論証の能力を持つというのは、サルトルには我慢がならぬことに思われるのである」。だが、サルトルの言う未開人、レヴィ=ストロースの言う「野生の思考」のどちらにも、分析や論証の能力を指摘できる。両者の間に基本的な相違はないのである。

このようなレヴィ=ストロースの批判をサルトルはどう受け止めたか。サルトルはそれをとりあえず歴史主義一般への批判として受け止めたうえで、歴史主義の否定は進歩史観の否定につながり、したがって今現在の体制の独自の存在理由を擁護する効果を持つとして、その反動的な性格に言及しただけだった。ところがそうした態度が、レヴィ=ストロースやその仲間には本質を外れたものように受け取られ、嘲笑の種となったという経緯がある。

レヴィ=ストロースが「野生の思考」を書いたのは、1961年のことであり、「弁証法的理性批判」が出版されたばかりで大いに話題となっていた時期であった。「弁証法的理性批判」の目論見そのものは、マルクス主義に実存主義を接ぎ木することであり、したがってその両者の和解を目指していた。それは、マルクス主義の歴史主義を前提としたうえで、いかに個人の自由を確保できるかという問題意識となってあらわれた。その問題意識は、歴史的な必然性よりも個人の自由に重点を置くものだった。サルトルがその著作の中で展開したのは、歴史の客観的な条件のもとでいかに個人の自主性が発揮されるかということだったのである。

ところがレヴィ=ストロースは、サルトルの自由を重視する姿勢は無視して、もっぱらかれの歴史主義を取り上げて、それを批判するわけである。サルトルの意識においては、歴史主義はマルクス主義からの借り物であり、自分本来のアイデアではない。自分は本来唯心論者なのだ。唯心論をマルクス主義の唯物論と和解させるために、サルトルは歴史主義とか、その方法的な前提としての弁証法に言及したに過ぎない。ところがレヴィ=ストロースは、サルトルにとっては借り物の歴史主義を彼本来の思想と受け取り、それを攻撃することでサルトルの思想を全体的に否定できると思った。実はレヴィ=ストロースが攻撃していたのはマルクス主義の歴史主義であり、サルトルはそれを批判するためのダシに使われたというのが実際のところと言えるのではないか。

ともあれ、レヴィ=ストロースがマルクスの歴史主義(進歩的歴史観)を憎むのには相当の理由があるようだ。マルクスの歴史主義は、資本主義システムの終わりを予見していた。レヴィ=ストロースも、今のヨーロッパのシステム(かれは「資本主義」という経済的なタームは使わない)が永続するとは考えていない。いつかは消滅するかもしれない。しかし、それは歴史の進歩とか発展の必然性とかいったものの結果ではなく、いわば偶然の賜物である。これまでの世界の歴史を見ても、いくつかのシステムの交代が認められるが、それらは相互に発展・進歩の関係にもなければ、したがって必然的な理由によって交代したわけではない。システムそれぞれは特有の原理にともづいて動いており、あるシステムに通用する原理は、他のシステムにとっては全く無意味である。

社会システムについてのこうした考え方は、やがてフーコーのエピステーメー論に昇華されていくわけだが、レヴィ=ストロースはそうした見方を先取りしていたといえよう。

レヴィ=ストロースのサルトル批判は、サルトルのデカルト主義にも向けられている。サルトルは、すべての社会関係は、個人の意識的な選択の結果と考えるのであるが、レヴィ=ストロースは、そこに無意識の介在を見ることで、20世紀の知の流行を踏まえている。しかしこの部分は付け足しのような扱いであり、レヴィ=ストロースのサルトル批判はあくまでも、その歴史主義に向けられている。そうすることでレヴィ=ストロースは、サルトルをダシに使いながら、歴史主義一般を攻撃しているといえよう。






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