四谷荒木町で小料理を食う

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四方山話の会を5月26日に設定したところ、誰からも参加連絡がないというので、幹事の石子の判断で中止となった。すると、会の中核部隊たる例の四人組でこじんまりとやろうじゃないかと浦子が言い出し、別途設定することになった。場所は四谷荒木町の小料理屋「おろく」。浦子行きつけの店である。その店には小生も一度行ったことがあったが、その後近所に移動したという。ネットで地図を確認したところ、前にあった店から一歩脇道を入ったところだと表示されている。そこで小生は、その場所を目指して行ったのだったが、そこには存在しない。どういうわけかといぶかしく思ったところ、ちょっと先のところに、顔に見覚えのある女将が暖簾をいじっているのが見えた。そこが目当ての店だった。ネットにはいい加減な情報がアップされていたわけだ。

四人揃ったところで、生ビールで乾杯する。まづ互いの近況を確かめ合う。なにしろこの年になると、いつ死んでもおかしくないわけだから、各個の状況は刻一刻と変化してやまない。石子などは、胆のうの手術をしたおかげで、消化機能がすっかり落ちたという。食ったものの大部分がそのままクソとなって出てしまうので、いくら食っても身になるということがない。かえって痩せてしまうというのだ。そこで小生も、俺もだいぶ痩せたよと言うと、確かに腹がへこんだようだな、なにかやっているのかね、と皆が言うので、なに、毎日リンゴ酢を飲んでいるのさ、と答える。そんなことで痩せられるのかねと不審そうな顔つきをするので、俺がじっさいにそれを証明しているのだから、たしかな話さと言うと、みな怪訝そうな顔つきをした。

岩子がにわかに遺産相続のチャンスを得たと報告する。叔母の一人が孤独死し、かなりな金額の遺産を残した。そこでその配分をめぐり遺族の間で談合しているのだそうだ。配分の如何は別にして、遺産相続というのは面倒なことだよ。遺族の間で合意が成立すればよいが、そうでないといつまでも決着しない。また、遺族の範囲を明らかにする必要もある。家族関係が単純なら比較的簡単だが、複雑だったり事実上の利害関係者がいたりすると、それを整理するのがやたら面倒だ。だから、相続できる遺産の金額がそれなりに魅力的ならばともかく、多少の金のために膨大な労力を払わされるんはかなわんと思うよ。

石子も遺産相続については、かわった経験があるそうだ。死んだ人には内縁の夫というのがいて、その夫が法的な相続権者に放棄を求めたというのだ。石子本人の所にも来て、一定の金と引き換えに相続放棄を求めたというのだが、放棄云々の是非はともかく、そんなことにはあまりかかわらない方がいいのじゃないかな、と小生は思ったところだ。

この日は、女将特製の家庭料理が出てきた。みな旬の野菜を生かした田舎料理風のものだ。それを盛った皿にも野菜の図柄が施されていて、浦子などは本物の人参と間違えて箸を伸ばしたくらいだ。

この日もいろいろなことが話題に上った。政治向きのことでは、岸田政権をどう評価するかが議論の種になった。小生などは岸田政権は国民無視のひどい政権だと思っているが、石子などは逆に高く評価している。岸田首相個人の「リベラル」な姿勢に共感しているということらしい。岩子は小生同様岸田政権には批判的で、岸田政権ほど買弁的で国民無視な政権はないと憤っている。そんな否定的評価が生じるのは、岸田の政治的な振舞い方がうまいとはいえないからだろう。岸田のやっていることを見ると、頭の悪さを感じさせる。なにしろ岸田は、大学受験に三度も失敗した凡才だと、米誌タイムが批評したくらいだから、世界中の視線にも、頭の悪い人間として映っているといえる。こんな男を宰相に戴いている日本国民は不幸と言わざるをえない。

社会現象の領域ではグローバリゼーションが話題になった。グローバリゼーションの定義は別として、その現実的な効果として、大規模な移民現象が大きな問題となっている。これはヨーロッパへのアフリカからの移民、USAへの中南米からの移民に大別できるが、どちらも受け入れ側の拒絶姿勢が深刻な人権問題を引き起こしている。とくにアメリカの白人至上主義者は移民に対して敵対的だ。ヨーロッパのほうも、アフリカからの移民には厳しく臨む一方、ウクライナからの移民には支援の手を差し伸べるポーズをとっている。これは明白なダブルスタンダードだ。

そこで移民を促す原因が話題となった。小生は、移民を促しているのはほかならぬグローバリゼーションだと考えているが、浦子は別なふうに考えていて、移民は人道危機を反映した現象だという。たしかに人道危機が多数の難民をもたらすとは言えるが、目下の移民問題は、難民問題の範疇からはみでるものがあって、それを整合的に説明できるのはグローバリゼーションなのではないか。

そんな具合に談論風発して、今宵も大いに英気を養った次第。時には大声をあげて、カウンター席の客をうるさがらせたかもしれない。ともあれ、八時ごろにその店を辞し、前回通り例のガウチョおじさんの店に席を移した。この日もガウチョおじさんは我々の談話に加わり、年をとって立たなくなっても、女の肌は恋しいなどといってよだれを垂らしたものであった。

この店では、生涯の最後にもう一度海外旅行をしたみたいね、という話が出た。特に浦子が強い希望を持っていて、かつてコロナ禍で中止したポルトガル・スペイン旅行の計画を是非実現したいという。ついては小生にその計画を再度進めろというので、俺も体力が衰えて過大な運動はできないから、前回企画したようなハードなスケジュールはこなせない。もしやるとしても、スペインに限定してもっとコンパクトな計画にしたいと言うと、いや是非ポルトガルにも行きたいというから、そこまで言うのなら何とかして計画を練ってみたいと答えた次第。その話に付随して、国内旅行もいいなという話になり、じゃあ大阪あたりに遊ぼうかということになった。大阪には土地勘があるので、俺がみんなを案内するよと浦子が言う。

ところで本体の四方山話の会だが、あれはもう解散したらどうかね、と石子が言い出した。浦子も岩子も解散には難色を示し、なんとか継続しようという。小生もそれに同調して、改めて席を設け、皆にメールで案内する際に、かならず出欠を知らせるように強調したらよい。その上で、参加申し込みをした人間でやることにしよう。ほかに参加する者がいなかったら、われわれ四人でやればよいというようなことを言い、だいたいその方向で話がまとまった。

こんな具合で今宵も楽しいひと時を過ごした次第。老いてなお色気を失わないのが、人間もっとも肝心なことだよ。





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