張楊(チャン・ヤン)の2005年の中国映画「胡同のひまわり」は、前作「こころの湯」に続き、中国人の家族関係をテーマにした作品。それに1876年以後の中国現代史を絡めてある。とはいっても、毛沢東の死や唐山大地震は触れられているが、1989年の天安門事件は、慎重に避けられている。そのかわりに、深圳に象徴される現代化の流には触れている。
「こころの湯」では、親子の情愛と北京の下町での人情味あふれる近所付き合いが描かれていたが、この作品では、父と息子との関係に焦点が当てられている。映画のほとんどは、父と息子の間の葛藤を描いているのである。
その父子関係は、父親による息子の絶対的な支配ということになる。中国人の家族関係は、父親を中心にして成り立っており、父親は子供たちを平等に扱うとともに、子どもたちはそれぞれが個々に父親と結び付き、兄弟相互の関係は緩やかだといわれる。それは、子どもが多数あったころのことで、近年のように、一人っ子政策のもとで、子どもが一人しかいないと、父親と子供の関係は、一対一の関係となり、したがって、父親の関心は一人の子供に集中する。その関係は、父親による子供の一方的な支配ということになりやすい。
じっさい、この映画の中の父と息子は、濃密な関係のなかで、父が子供に過度な干渉をするというものになっている。子どもは当然反感を持つが、しかし、父親に服従することは絶対的な命令となっている。そこに独特な愛憎が生まれるというわけである。
父親は若いころに画家を志望していたのだったが、文革の混乱に巻き込まれて労働キャンプに送られたりしたおかげで、夢をかなえることができなかった。その夢を父親は一人息子に託すのだが、そんな事情もあって、父親の息子への期待はすさまじいものなのである。そんな父親に息子は反感を覚えながら、結局は父親の望み通り画家となり、成功をおさめる、というような内容になっている。
日本人から見れば、かなり異様な親子関係と見えるのであるが、近年の中国では、この映画の中の父と子の関係が、もっともありふれた後景なのかもしれない。そんなわけでこの映画は、近年の中国とくに北京における家族関係の実態について考えさせてくれる作品である。
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