梶谷懐「中国経済講義」を読む

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梶谷懐は、中国経済の専門家であり、中国人民大学への留学経験もある。その梶谷が中国経済について「講義」するというわけだから、普通の読者なら、中国経済についてのかなり包括的な知識を得られると期待するだろう。中国経済について包括的に論じた入門書のようなものはないようだから、梶谷の「講義」がその期待に応えられるものならば、非常に有益な仕事といえる。

中国経済の知識に飢えている者に対しては、これはそれなりの内容を持っていると言えよう。だが包括的な内容になっているかといえば、そうでもない。読者がこの本から得られる知識は、あるバイアスを通したかなり断片的なものである。そのバイアスとは、一言でいえば、新自由主義的な見方ということである。梶谷はこの本の中で、ハイエクにさかのぼる新自由主義的な経済思想を基準枠にして中国経済を見ており、したがって、中国経済がその基準枠からすれば、まだまだ遅れていると断罪する態のものである。

中国政府も、大多数の中国国民も、とりあえずは社会主義経済をベースにして、その足りないところを資本主義的なパフォーマンスで取り繕ろわんと考えているわけで、頭から資本主義化を目指しているわけではない。だから、中国経済の資本主義的要素がまだ不徹底だと指摘しても、中国側としては、たいした反省材料とはならないだろう。中国は何も、全面的に資本主義経済に移行しようなどと考えているわけではない。それにはロシアの失敗から得た教訓があるように思える。ロシアは既存の社会主義システムを徹底的に破壊して、中途半端な形で資本主義システムを導入したおかげで、経済は絶望的に崩壊した。プーチン以降ある程度は立ち直ったとみられるが、それは天然資源の輸出に支えられたもので、その他の産業は壊滅的な打撃からほとんど回復していない。そういう事情を見ているから、中国はロシアの轍を踏むことなく、独自の道を行こうとしているのであろう。それは、上述したように、社会主義に資本主義的なシステムを接ぎ木するというもので、社会主義に変えて資本主義を全面的に導入しようとするものではない。

それゆえ梶谷が、中国経済の資本主義化がまだ不徹底だと指摘するのは、イデオロギー的な意味はあるにしても、中国経済についての丁寧な説明にはならないだろう。

ひとつ大変参考になったのは、高度成長期の中国が、基本的に投資中心の経済構造だったとする指摘である。中国では、社会保障が整備されていないこともあり、人々の貯蓄意欲は高い。ということは、消費財を中心とする内需が弱いということであって、成長するためには、必然的に輸出中心にならざるを得ないし、また、貯蓄によって生じた資金を設備投資に回さねばならない。そういう投資の圧力が、近年の一帯一路政策推進の原因となっていると梶谷は指摘する。梶谷によれば、一帯一路とは、整然と統合された政策ミックスではなく、輸出促進のためのさまざまな施策をかきあつめた、つぎはぎだらけの政策だというのである。

かつての日本も、国民の貯蓄意欲が高く、その分投資中心の経済構造となり、それが高度成長を推進したものだった。近年の中国経済は、その日本型成長モデルにかなり近いものである。かつての日本では、国が音頭をとって、官民一体の輸出促進に励んだものだが、近年の中国は、国が露骨に全面にたって、経済の方向を導いている。それは中国人にとっては、中国流社会主義の望ましい姿なのであって、その中国流社会主義に、どれほど資本主義的な制度を有効に組み込むことができるか、それが問題なのだということだろう。

なお、梶谷は中国経済を分析するについて、西側の主流の経済学ツールを援用している。そのツールはしかし、中国の場合には、なかなか有効に働かない。経済統計がいい加減であったり、いわゆる闇経済が大きな役割を果たしていることがその原因だと梶谷は言っているが、そもそも社会主義を標榜する経済を、資本主義的な理論モデルだけで分析しようというところに無理があるのではないか。

中国経済が社会主義を土台とするということに、あまり自覚的でないために、この本は、中国経済の近年の流れを、整然と説明できないでいる。この本を読んでの大まかな印象は、中国経済を出来損ないの資本主義システムと見たうえで、どうしたら資本主義の本来の姿に近づかせることができるかを論じたものだということだ。資本主義にもっと徹しなければ、中国経済は魅力的な投資先にはならないと言っているわけだ。






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