一顆明珠:正法眼蔵を読む

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正法眼蔵第七「一顆明珠」の巻は、福州玄沙山院宗一大師通称玄沙の言葉「尽十方世界、是一顆明珠」についての評釈である。玄沙は石頭希遷の法統に属し、雪峰義存の弟子である。非常にかわった経歴の人とされる。もともと無学な漁師だったが、三十歳の時に発心して雪峰に弟子入りした。さまざまな人のもとで修行しようとも考えたが、結局雪峰のもとにとどまり続けた。そんな玄沙に雪峰が「そなたは何故色々なところで修行しないのか」と聞いたところ、「ダルマは東土に来たらず、二祖は西天に往かず」と答えた。あちこち歩きまわらずとも修行はできるという意味だ。この逸話から、玄沙は理屈を重んじるタイプではなく、実践を重んじるタイプの仏教者だというふうに受け取られてきた。自身も実践を重んじる道元としては、親しみやすく感じられたのであろう。


「尽十方世界、是一顆明珠」という言葉は、玄沙がさとりを得て最初に説いたものとされる。その意味は、文字通りには、宇宙全体は一個の明珠であるというものである。宇宙の存在のありようを、一個の明珠にたとえたわけである。その「一顆明珠」は、現行岩波文庫版では「いっくわめいしゅ」となっているが、「いっかみょうじゅ」と読んでいる本もある。

玄沙のその言葉の意味をある僧が問うた。「どのように理解したらよいのか」。すると玄沙は、「それを理解してどうするのか」と答える。この言葉は理解できるようなことを説いているわけではない、というのである。理解は世間知によるものだが、仏法の真理はそんな世間知の及ばないものだということだろう。それを玄沙は次のように言い換える。「尽十方世界は、広大にあらず微小にあらず、方円にあらず、中正にあらず、活鱍々にあらず露回々にあらず。さらに、生死去来にあらざるゆゑに生死去来なり」。要するに、ここでいう尽十方世界(宇宙全体」を、形あるものとしてうけとってはならぬ、ということである。宇宙の存在には実体性はない。それは空である、という思想がここには潜んでいる。

その形なき尽十方世界がなぜ、一顆明珠にたとえられるのか。それが当面の問題となる。とりあえず次のように定義される。「一顆珠は、直須万年なり。亙古未了なるに、亙今到来なり。身今あり、心今ありといへども明珠なり。彼此の草木にあらず、乾坤の山河にあらず、明珠なり」。「直須万年」は永遠に続くという意味だろう。永遠であるから、古にわたってまだ終わっていないのに、今にわたって到来している、そのような永遠の今が問題である。その永遠の今は、身体にとっての今であり、心にとっての今である。草木とか乾坤といったものではなく、明珠なのである。となると明珠とは、現実のものというより、抽象的な原理を象徴するようなものとして捉えられているわけである。

では、その抽象的な原理とはなにか、が問題になるが、それについては詳しくは触れていない。玄沙は理屈の得意な人ではなかったから、抽象的な原理について思弁を働かせることはしなかったのである。道元はそこに助け舟を出して、「大用現前是大軌則なり」と言っている。その意味は、仏法の大いなる働きが現実化したものが、宇宙の法則となってあらわれるということである。つまり、現実世界は仏法の働きによって動いているとする考えがそこにはある。

道元が「一顆明珠」を説示したのは嘉禎四年、道元が満三十八歳のときで、その三年後に「行仏威儀」を説示した。「行仏威儀」の中で道元は、玄沙と雪峰とのやりとりに言及しながら、玄沙には批判的である。雪峰の言葉「三世諸仏、在火炎裏、転大法輪」に対して玄沙が、「火炎為三世諸仏説法、三世諸仏立地聴」と言ったことについて、道元は、「玄沙の道に混乱することなかれ」といって、玄沙を批判しているのである。さすがに実践重視の道元といえども、空虚な物言いには我慢がならなかったとみえる。玄沙の物言いには、そうした空虚さが感じられるということか。






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