笞刑と足枷:ドストエフスキー「死の家の記録」

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ロシアの監獄に収監された囚人は三種類に分類される。既刑囚、未刑囚、未決囚である。既刑囚はすでに刑罰の執行が終わったもの、未刑囚は刑罰の執行がまだ終わっていないもの、未決囚は判決が出ていないものである。未決囚はともかく、既刑囚とか未刑囚とかは何を意味するのか、日本的な感覚ではわからない。日本では懲役刑に服することが刑罰そのものだから、既刑囚と未刑囚を区別する理由がない。ところがロシアでは、懲役刑は単独ではなく、笞刑と組み合わされる。その笞刑を終えたものを既刑囚といい、まだ終えていないものを未刑囚というわけだ。笞刑は怖ろしい刑罰で、囚人たちは死と同じように恐れている。笞で叩き殺されることも珍しくはないのである。じっさいこの小説でも、笞刑を受けて死んだ者が出てくる。

そんなわけだから、囚人は笞刑をまぬがれるためにとんでもないことをする。「処刑の時期を延ばすために、未刑囚は思い切ったことをしでかすことがある。たとえば、処刑の前夜に上司のだれかを、あるいは囚人仲間のだれかをナイフで刺し殺すというようなことをする、すると裁判のやりなおしということになって、処刑が二か月ほど延期される。それで目的は達しられたわけである」(工藤精一郎訳)。囚人にとっては、どんなに厳しい事態が待ち受けていようが、目前にせまった笞刑をまぬがれることが、最大の問題なのだ。人を殺すことなど、まったく問題にならない。

笞刑を受ける側は、一部の変わった人間を別にすれば(そういう人間は笞刑を受け入れるだけの強さをもっている)、死ぬほどの苦痛を味わうことになり、じっさい死んでしまうものもいる。だから「笞刑は、その数が多い場合、わが国で行われているすべての刑のうちでもっとも重い刑だということになる。これはちょっと考えると、ばからしい、ありえないことに思われるかもしれない。ところが、五百本とは言わず、四百本ぐらいの笞でさえ、人間をなぐり殺すことができるのである」。

一方、笞刑の遂行者には、すべてではないが、自分で笞を振るい、囚人が悶絶する様を眺めることに快感を覚えるようなものがいる。そういう人間は、「自分のいけにえを笞打つことに、サド侯爵やブレンヴィリエ侯爵夫人を思わせるようなある種の快感」を覚える。その感じには「甘美と苦痛がないまぜになって・・・心をしびれさせるような何ものかがあるのだ」。そう言ったうえで、「死の家の記録」の作者は、「暴虐は習慣である。それは成長する性質をもち、しまいには、病気にまで成長する。わたしが言いたいのは、どんなに立派な人間でも習慣によって純化されると、野獣におとらぬまでに暴虐になれるものだということである」と断言する。だが、「他の人間に対する体刑の権利が人間にあたえられるということは、社会悪の一つであり、社会がその内部にもつ文明のいっさいの萌芽と、いっさいのこころみを根絶するもっとも強力な手段の一つであり、社会を絶対に避けることのできぬ崩壊へみちびく完全な要因である」とも言って、作者は人間がほかの人間に暴力をふるう権利を与えることに疑問を呈している。

刑吏はもともと囚人だったものから選ばれる。既刑囚で流刑の宣告を受けたものの中から、刑吏としての素質を持っている者が、監獄に残されて終生刑吏として働かされるのである。かれらは先輩の刑吏から仕事のやり方を教わり、それを実践しているうちに、次第に自分の仕事に快感を覚えるようになり、「おそろしく醜悪な人間」になるのである。

笞刑は囚人を震え上がらせるものだが、足枷はかれらの人間としての尊厳を、慢性の病気のように損なう。帝政時代のロシアにおいては、収監された囚人は、刑期を終えて解放されるまで、刑期のない囚人は死ぬまでの間、足枷をつけたまま暮さねばならない。身体が健全なうちは、足枷をつけたままなんとか動き回ることができるが、病気で体が弱っているときなどは、非常につらい思いをする。それはともかく、寝ているときも、風呂場で裸になったときも、つねに足枷をつけたままというのは、異様なことである。それについて、記録作者は、足枷は逃亡防止のためではなく、囚人への処罰の手段として用いられているのだろうと推測する。じっさい、死にかかっている病人にまで、足枷はつけられたままなのである。「足枷は~恥辱を与える一つの罰なのである。恥辱と苦痛、肉体と精神に加えられる罰なのである・・・徒刑囚に罰だけのためにはめられるものだとすると、わたしは問いたい、死にかけている者まで罰する必要があるのだろうか」。

記録作者はそう言って、ロシア社会の野蛮な体質を告発するのである。なお、笞を使った処罰は、アメリカ南部の白人が黒人を罰するときに好んでしたことである。アメリカ映画「それでも夜は明ける」には、笞を振るって黒人女を叩きのめすシーンが出てくるが、笞は背中の肉に食い込んで、深い溝のような傷をつける。容易にはもとに戻らない。打たれたところに笞の破片が食い込むことがある。それをピンセットで丁寧に抜かなければならない。笞というのはじっさい、怖ろしい罰なのだということがわかる。一方足枷のほうは、ユーゴーの小説「レ・ミゼラブル」でも触れられているから、これもロシアだけの習慣ではなかったようだ。ただ、ロシアでは笞や足枷が、人に恥辱を与えるための組織的な方法として、徹底的な残酷さをもって用いられたということらしい。







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