ムーン・ライト:アメリカの黒人社会

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2016年のアメリカ映画「ムーン・ライト( Moonlight バリー・ジェンキンス監督)」は、現代アメリカの黒人社会の一面を描いた作品。一黒人の少年時代、思春期、青年時代を描きながら、アメリカ社会における黒人の生きづらさのようなものを描いている。それに、陰惨ないじめとか同性愛を絡めている。見ての強い印象は、いじめにしろ人間同士の触れ合いにしろ、この映画に出てくる黒人たちは、ほとんど黒人だけで完結した社会に生きているということだ。いじめや暴力は、黒人が黒人相手に行うのであり、白人は全くかかわらない。大体がこの映画には、白人はほとんど出てこないのだ。出てくる白人は、暴力的な黒人を取り締まる警察官だけである。

身体が小さいため「リトル」というあだ名をつけられた少年シャロン、その少年はクラスの子供たちからいじめられていた。母子世帯で母親と二人ぐらしだが、母親はドラッグの依存症であり、家に男を連れ込んだりして、だらしのない生活をしている。その少年シャロンに、ドラッグの売人をやっている黒人が目をかけ、なにかと世話をしてくれる。この黒人フアンとその愛人テレサに、シャロンは生きる気力をもらうのだ。

ついでハイスクールに通う思春期のシャロン。相変わらずいじめられているシャロンは、幼馴染のケヴィンに同性愛の感情を抱く。そんなシャロンに対して、ケヴィンが暴力を加える。クラスのいじめっ子から、シャロンにパンチを見舞えと命じられたからだ。愛するケヴィンから殴られたシャロンは、自分たちの愛情を邪魔建てしたいじめっ子に、復讐する。そのため、シャロンは少年刑務所に入られれてしまう。

青年になったシャロン。シャロンはアトランタでドラッグの売人をしている。それなりに金儲けに成功したが、孤独な生活だ。そんな折、ケヴィンから会いたいという電話がある。むかしの恋人であるケヴィンに会いたくなったシャロンは一人会いに行く。ケヴィンは、やはり刑務所暮らしをしたことがあり、いまはレストランの料理人として働いている。そんなケヴィンとシャロンは昔のよりを戻す、といった内容である。

そんなわけで、何が言いたいのか、よくわからい、焦点のはっきりしない映画である。いじめと同性愛が並行するのは、かならずしもありえないことではないが、どちらか一方に絞った方が、わかりやすい。いじめについていえば、黒人同士のいじめというのが、黒人社会の暗黒面を象徴しているようで、黒人がこの映画をみたら、やりきれない気持ちになるのではないか。この映画を監督したバリー・ジェンキンスは、自身黒人だというから、アメリカの黒人社会にかなり屈折した感情をもっているのではないかと、ひそかに伝わってくる。






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