1999年のアメリカ映画「ディープ・ブルー(Deep Blue Sea レニー・ハーリン監督)」は、人工的に知能を高度化されたサメが、その高度な知能を駆使して、人間に逆襲するというような内容の作品である。とりあえずは頭のよいサメが人間を弄ぶということになっているが、このサメをAIと読み替えると、今問題になっているAIの脅威につながるものがある。AI技術の発展はすさまじく、いまやAIは人間のコントロールを超えて自己発展し、もしかしたら人間にとって深刻な脅威になるかもしれない、だからAIの技術を、人間のコントロール下に置かねばならないという議論まで起きている。この映画は、そうした議論を先取りするものと受けとることができる。もっとも、制作者に当時そんな問題意識があったようには思えず、ただ単にSFホラー映画の材料として思いついたのであろうが。それにしても、この映画は奇妙な現実感をもって、われわれ人間に反省を迫るのである。
アルツハイマー病の治療薬を開発するために、サメの脳を巨大化するプロジェクトが進められており、そのプロジェクトを視察しにやってきた金づるの前で、サメの脳の状態を披露することとなったはいいが、そのサメが思いもよらず、人間に対して敵対的な行動をとり、あげくにプロジェクトに携わった多くの人間たちを殺戮し、たった二人しか生き残れなかったというような筋書きだ。筋書き自体は、普通のSFホラー映画に比べてたいしてユニークさがあるわけではないが、なにしろサメが人間を圧倒し、次々と殺していく様子がものすごい迫力で描かれる。
怖ろしいのは、サメが人間と同じかそれ以上に優れた知能を持ち、しかも人間に強い敵意を抱いているとうことだ。そんな知的な化け物の前では、人間はひとたまりもない。つぎつぎと殺されるのである。その殺される様子が、じつに荒々しいのだ。
映画公開当時の人間たちは、この映画をただのSFホラー映画として楽しんだのであったが、AI技術の発展がもたらした深刻な可能性に気づいている今の人間たちは、この映画を他人事の世界とは受け流せないだろう。もはやAIの発展は不可逆的な方向を進んでおり、近いうちに、この映画の中のサメよりもはるかに知能が高く、しかも自己コントルールのきく存在になる恐れが強い。そうなったらどうなるのか。その疑問の肝心な部分にこの映画はヒントを与えてくれる。人間以上に知能の高い化け物が、人間を相手にして闘いを挑み、自分らが地球の支配者になることを夢見るかもしれない。それは人間にとっては悪夢以外の何物でもない。その悪夢の前触れを、われわれはこの映画に見ることができるのである。
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