鄭義信「焼肉ドラゴン」:在日コリアンのコミュニティを描く

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2018年の映画「焼肉ドラゴン」(鄭義信監督)は、在日コリアンのコミュニティを描いた作品。在日コリアンを描いた映画としては、「パッチギ」や「月はどっちに出ている」といった作品があったが、在日コミュニティのありさまを正面から描いたものは少なかった。北野武が在日の主人公を演じる「血と骨」(崔洋一監督)が、その少ない作品を代表するものだったが、この「焼肉ドラゴン」も、「血と骨」とよく似たところがある。在日の出身者が監督し、在日の姿を赤裸々に描いたことだ。相違点もある、「血と骨」は、在日コリアンを差別する日本社会への批判意識は感じさせないのに対して、この映画は、日本人による差別に屈して自殺する在日少年を通し、日本社会への痛烈な批判を打ち出している。

舞台は、大阪万博開催前後の関西の一隅。伊丹空港に隣接する河川敷に作られた仮設集落での在日コリアン・コミュニティの濃厚な人間関係がテーマだ。その人間関係は、親族の間では無論、近隣関係やそのほかの関係を通じても形成されている。それを見ると、在日コリアンたちは、厳しい差別をうけながらも、なんとか日本社会で生きていく道を選ぶ、といった気概が伝わってくる。

主人公は、在日の家族。父母と四人の子からなる家族だ。父母は再婚で、上の二人の娘が父親の子、三人目の娘が母親の連れ子、末の弟が夫婦の子ということになっている。父母は焼肉屋を営み、長女が店を手伝っている。客のほとんどは在日コミュニティ内の人々だ。父親の名前「竜吉」にちなんで、店は「焼肉ドラゴン」と呼ばれている。

映画は、三人の娘たちの人生設計を中心に展開し、それに末っ子が差別をはかなんで死んだり、母親がそれに激怒したり、父親がその母親を慰めたりする。父親は、子どもが日本社会で生き続けるためには、日本の教育をうけ、日本社会に適応せねばならないと思っている。だから息子がひどいいじめにあっていても、耐えろという。その言葉に絶望した息子は自殺しか道が残されていないと感じるのだ。

そんな父親にも、我慢がならないことがあった。住んでいた家を自治体に収用されるという話だ。これまで日本のためにがんばり、そのおかげで片腕をなくしても耐えてきたのに、そんな自分を日本は強制的に排除しようとする。そのことにさすがに気のいい父親も我慢できないのだ。結局かれらは追い出され、また家族もばらばらになってしまうのだが、それでも生きていかねばならない。そんなやるせない気持ちがかれらの表情から読み取れるといったような内容で、たいしてドラマチックな要素があるわけではないが、色々なことを考えさせる作品である。






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