坐禅箴:正法眼蔵を読む

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正法眼蔵第十二は「坐禅箴」の巻。「箴」という文字は、もともと鍼灸治療に用いる竹の針という意味である。今では、針は金属でできているので、「鍼」という具合に金偏の文字だが、古代には竹を材料にしていたので、竹冠で「箴」と書いた。針で身体のツボをさすところから、ツボという意味合いも持つこととなり、ツボが転じて要諦というような意味を持つようになった。「坐禅箴」と言う場合には、座禅の要諦というような意味をあらわす。

座禅の要諦をあらわす言葉としては、ほかに「坐禅儀」とか「坐禅銘」がある。どれも同じような意味合いだが、「坐禅銘」はもっとも短い言葉で、「坐禅箴」はもっとも長い言葉で書かれたものをイメージしていたようである。その間に立つ形の「坐禅儀」は、坐禅の要諦(意義)という意味のほかに、実際上の心得(マニュアル」といった意味も含んでいた。道元自身は、「坐禅箴」と「坐禅儀」と両方書いている。「坐禅箴」を書いた後に「坐禅儀」を書いた。「坐禅箴」を書いたのは、その文章の本文中の記述から、仁治三年(1242)のことだとわかる。「坐禅儀」を書いたのはその翌年のことである(「正法眼蔵」における順序は逆になっている)。

「坐禅箴」と「坐禅儀」との関係を整理すれば、「坐禅箴」は坐禅の要諦あるいは意義について包括的な考察を加えたもの、「坐禅儀」は「坐禅箴」で説かれた座禅の要諦を前提として、坐禅についての実際的な心得を説いたものといえる。この二つの間に道元は、かれなりに役割分担を持たせたわけである。

「坐禅箴」の巻は面白い構成になっている。ハイライト部分は、宏智禅師正覚和尚の「坐禅箴」の紹介とそれへの道元の注釈であり、それに重ねて道元自身の坐禅箴が提示される。だがその前に、予備的な考察として坐禅の要諦について触れられる。それにかかわる前半の部分が、この巻の主旨ともいえる。坐禅とはなにか、坐禅の要諦とはなにかについて、前半の部分で詳しく考察されるのである。それを踏まえたうえで宏智禅師の「坐禅箴」が紹介されるわけで、道元は宏智禅師の「坐禅箴」を、自分自身の「坐禅箴」の範例と考えていることが伝わってくる。だから道元が自分自身の「坐禅箴」をあえて提示するのは、自分なりに考えた坐禅の要諦について説きたいと思ったからだと納得できるのである。

坐禅の要諦について説いた前半部分は、二つの下位部分からなる。一つは、薬山弘道大師とある僧との問答を通して、坐禅の意義について説く。坐禅はさとりとかほかの目的の手段としてではなく、それ自体を目的として行うべきものだということが説かれる。二つ目は、江西大寂禅師と南嶽大慧禅師のやりとりを通じて、これもまた坐禅の意義について説かれる。坐禅はそのままさとりであって、坐禅のほかに目標となるさとりがあるわけではないということが説かれるのである。

まず、薬山弘道大師にかかわる逸話。薬山弘道大師とは薬山惟儼のこと。石頭希遷の法嗣で、この流れから曹洞宗が出てきた。道元にとって古仏といえる人である。その薬山にある僧が問うた。「兀兀地什麼をか思量せん」。「兀兀地」とは、山のように微動だにしない様子のことで、坐禅している姿をあらわす。要するに「坐禅などして何を考えているのか」と問うたわけである。それに対して薬山は、「箇の不思量底を思量す」と答えた。「考えないものを考えるのだ」という意味だ。僧が「不思量底、如何が思量せん(考えないものをどのように考えるのか」と重ねて聞くと、薬山は「非思量(考えということを否定するあるいは超越するのだ)」と答える。この問答を手掛かりにして道元は、坐禅の意義について深い考察を進めていくのである。

この不思量とか非思量とかについて道元は次のように評釈する。「思量底を思量するには、かならず非思量をもちゐるなり。非思量にたれあり、たれ我を保任す。兀兀地たとひ我なりとも、思量のみにあらず、兀兀地を学頭するなり。兀兀地たとひ兀兀地なりとも、兀兀地いかでか兀兀地を思量せん。しかあればすなはち、兀兀地は仏量にあらず、法量にあらず、悟量にあらず、会量にあらざるなり」。ものごとを考えるには考えにあらざるものを用いるというのであるが、今一つ意味がわからない。また、非思量にたれありといっているので、余計にわからなくなる。この非思量を単に思量の否定と考えては前に進まないようだ。そこでこの非思量を、「たれ」という言葉と結びつけて、抽象的な名辞としてではなく、ある主体として捉えたらどうかということになる。「たれ」とは「われ」を意味する言葉だから、非思量を「われ」すなわち主体としてとらえなおすのだ。すると、ここで言われていることは、自分の頭であれこれ考えてもろくなことはない、自分ではない超越的な主体、ということは仏ということになるが、その仏に身をまかせるようにしていればよい、ということになろうか。

こう解釈すると、坐禅というものは、自分の頭であれこれ考えるのではなく、仏に身をまかせるようにして、いわば成り行きにゆだねるという意味になろうかと思われる。つまり道元は、坐禅は仏に導かれて自ずからさとりの境地に入らせてくれるものであって、坐禅すなわち悟りなのだ。坐禅の外に悟りがあるわけではないと、言っているように聞こえる。こう言うと、道元の禅は自力信仰であり、したがって自分の力によって悟りを導き寄せるのだから、仏に身を任せるという言い方は、道元の本旨から外れているという批判が起こるかもしれない。

ともあれ道元は、坐禅はそれ自体を目的として行うべきであり、しかも生涯にわたって不断に実践すべきだと考えていた。だから「坐禅弁道はこれ初心晩学の要機なり、かならずしも仏祖の行履にあらず」とする臨済宗の見解を激しく排斥するのである。

次に、江西大寂禅師と南嶽大慧禅師とのやりとり。江西大寂禅師は馬祖道一のこと、南嶽大慧禅師はその師南嶽懐譲のこと。この二人は臨済宗の法統につながる人たちである。この部分では道元は臨済宗を批判するのではなく、臨済の先駆者たちも坐禅の意義を重視していたと主張したいようである。

二人の間でいくつかのテーマについてのやり取りがある。その前に、常に座禅三昧である馬祖に向かって師の南嶽が、「坐禅図箇什麼(坐禅して何を図ろうというのか)」と問いかける。そのことから、坐禅の意義についての考究が展開される。それもいくつかの比喩を通じてである。その前に、「坐禅より向上にあるべき図のあるか」という道元自身の問いが発せられる。この問いの言葉は、坐禅は座禅以外の上位の目的につかえるようなものではなく、坐禅それ自体が目的そのものなのだ、ということを意味する言葉だ。要するに道元はここでも、坐禅はそのままさとりの境地なのであり、坐禅のそとに悟りがあるわけではないといっているわけである。

坐禅の意義についての比喩として、磨鏡とか磨磚とか坐仏とか色々出てくるが、いずれも坐禅がそのまま悟りなのだという主張を補強するものである。






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