瀬々敬久「ラーゲリから愛を込めて」:シベリア抑留の過酷な境遇を描く

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瀬々敬久の2022年の映画「ラーゲリより愛を込めて」は、敗戦後ソ連によってシベリアに抑留された日本人たちの、過酷な境遇を描いた作品。原作は辺見じゅんのノンフィクション「収用所から来た遺書」。実話に基づくという。12年間シベリアに抑留され、過酷な境遇に陥りながらも、希望を失わずに生きようとして、最後は病気に倒れシベリアの地で死んだ男の生き方が主なテーマである。その男が死ぬ前に書き残した遺書の内容を、彼と一緒に生きた男たち四人が、遺族にその内容を報告する。遺書の原物はソ連側に押収されてしまったので、かれらはそれを頭の中に気憶していたのだ。

シベリア抑留生活の悲惨な境遇が比較的ニュートラルな視点から描かれている。だが、ソ連側の非人間的な待遇であったり、また、日本人同士の軋轢など、非情といえるような側面にもよく眼を配っている。それでも政治的なプロパガンダ性をあまり感じさせないのは、おそらくこの物語の主人公に、そうした意図がそもそもなかったからだと言えよう。

映画の主人公は、山本という人物だが、ナレーター役を務めるのは、山本と仲のよかった松田という人物である。二人はシベリアに送られる汽車の中で知り合い、以後山本が病気で死ぬまで一緒だった。その松田を含めた四人が、山本の遺書を遺族に届けるのである。松田をナレーター役に選んだのは、主人公の山本が途中で死んでしまい、映画全体の語り手の役は期待できないと瀬々が判断したためであろう。

見どころは、過酷な境遇で、心が折れそうになりながらも、希望を失わずに生きることにこだわる人々の姿勢である。そうした姿勢が、見るものに、生きることの意義を考えさせるという点で、この映画は、瀬々にしてはめずらしく、啓蒙的な要素を感じさせる。

この映画はまた、ソ連による日本人の抑留の犯罪的な面もそれなりに感じさせるような作りになっている。批判意識を前景化させないでも、事態の流れが、シベリア抑留の非条理を感じさせるのだ。映画の中でソ連兵らは、日本人を戦犯と呼んでいるが、日本軍がソ連に対して戦争犯罪を働いたというのは、あまり根拠のない言いがかりである。そんな言いがかりでも、ソ連の施策を正当化するには役立ったのであろう。

日本人は、先の大戦に関しては、とかく被害者意識が強く、加害者としての責任には無頓着になりがちだ。ソ連抑留問題は、どう見てもソ連による一方的な人権侵害事案であり、したがって日本側に、被害を主張させる法的・道義的な根拠はあると思う。日本人は、被害感情を含めて、過去のことは忘れがちになる傾向が強い。時にはこういう映画を見て、戦争について考えるのもよいことだろう。

なお、この映画は、ウクライナ戦争の最中に公開された。そのため、ロシア人の残酷性について、世界にアピールする効果をもったように見える。






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