狂言「通円」を見る:茂山七五三演じるパロディ

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先日NHKが宇治平等院関係の能楽番組を放送したうち、狂言の部分は「通円」。これは能「頼政」のパロディだと言ったが、まさにそのとおりで、頼政を通円にかえ、討ち死にを茶のたて死にに変えているほかは、舞台回しからせりふ(これは謡の形をとる)まで原作をほとんどそのまま繰り返している。だから、原作を知っていることが、この曲の味わい方の決定的な条件となる。原作を知らなければ、折角のパロディが意味をなさないからだ。

狂言には、能と同じような構成をとるものがいつくかあるが、この曲のように、特定の能のパロディといったかたちをとるものは他に例がない。この狂言を思いついた作者は、頼政に特別の思い入れがあったのであろうか。頼政と言えば、あの頼光の子孫であり、清和源氏の出世頭だった。のちに天下をとる源氏は、やはり清和源氏の流れであるから、頼政は一族のヒーローといってよい。その頼政をパロディにするのであるから、この曲の作者は、源氏に意趣を抱いていたのでもあろう。

原作では、諸国一見の僧が、土地の老人と出会い、宇治平等院にまつわる話を聞くうちに、頼政の壮絶な最期を聞かされるのであるが、この狂言も、諸国一見の僧が土地の老人から、同じような話を聞かされる。だがそれは、頼政の壮絶な最期ではなく、通円と称する茶店の親爺が、大勢の客に茶をたてようとして奮闘したあげく、壮絶な最期を遂げるというものである。原作では、頼政は三百人の敵兵を一身で迎え撃つということになっているが、ここでは通円が、三百人の客を相手に一身で茶をたてようというのである。

原作の待謡にある「思ひよるべの浪枕。思ひよるべの浪枕。汀も近し此庭の扇の芝を片敷きて。夢の契を待たうよ。夢の契を待たうよ」は、狂言では「思ひよるべの茶屋のうち。思ひよるべの茶屋のうち、筵も古きこの床に破れ衣をかたしきて、夢の契を待たうよ。夢の契を待たうよ」となる。その直後の部分は、原作では「紅波楯を流し。白刃骨を砕く。世を宇治川の網代の波。あら閻浮恋しや」とあるが、狂言では「大場たて飲まし、客人胸にしむ。世を宇治川の水汲みて、あら昆布恋ひしや」と変わる。

こうした言い換えは、曲のいたるところにある。もう一つだけ、キリの部分から引用すると、原作では「跡弔ひ給へ御僧よ。かりそめながらこれとても。他生の種の縁にいま。扇の芝の草の蔭に。帰るとて失せにけり。立ち帰るとて失せにけり」とあるものが、狂言では「跡弔ひ給へ御聖。かりそめながらこれとても。茶生の種にいま。団扇の砂の草の蔭に。茶ちかくれて失せにけり。跡茶ち隠れて失せにけり」と変わっている。茶にまつわる話であるから、随所に茶をきかせているわけである。

なお、この舞台では、シテを人間国宝の茂山七五三が演じていた。七五三の父親は、やはり人間国宝になった茂山千作(四代目)で、かの谷崎潤一郎とは非常に懇意にしていた。「月と狂言師」のなかで、その交流ぶりが紹介されている。代々京都を地盤にしていて、謡は金剛流である。





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