愛おしき隣人:ロイ・アンダーソンの映画

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ロイ・アンダーソンは、不条理な雰囲気の映画を得意としているようで、2007年の作品「愛おしき隣人」も不条理たっぷりといったものだ。これは人間同士のコミュニケーションの不在をテーマにしたもののようである。だから「愛おしき隣人」とは、コミュニケーションを超えた他人という意味になるようだ。

とにかく、人間同士の行き違いとか、誤解とか、すれ違いとか、意味のない喧嘩とか、そんなものばかりが繰り返し描かれる。だから当然、深刻劇になるか喜劇になるかのどちらかなのだが、この映画は喜劇に傾いている。

誤解とすれ違いばかりのなかで、唯一しっくりしているのは、アンナという女性がミッケという男性と結婚する場面だが、これは現実の出来事ではなく、夢の中でのこととなっている。現実の世界はあくまでも不条理なのだ。

その現実の舞台として酒場が出てきて、アンナはそこでミッケに声をかけるのだが、その酒場というのが、「さよなら、人類」でも出てきたもののように思う。そこでは、君主が馬に乗って侵入してくるのだが、この映画の中では、大勢の客がラスト・オーダーを求めてカウンターに群がるのである。

一貫した筋書きはなく、人間同士のコミュニケーションの不在を、さまざまなケースを通じて例示しているといったふうだ。面白い場面にはことかかない。亭主と口げんかした女教師が子供たちの前で泣き崩れるとか、肥満した女房を腹の上に載せながら、投資に失敗して損をしたと愚痴を言う亭主とか、会議の席で突然卒倒しそのまま棺桶に収められて教会に運ばれる男とか、である。映画の冒頭では、低音の女がわけの分からないことを言いながら、突然歌いだす。それがなかなか聞かせるのだ。教会の中で棺桶を前に讃美歌を歌う女の声も魅力的である。

精神科の医師は、自分は意地悪な人たちを幸せにしているのに、自分自身は不幸せだといって嘆くし、花束をもって女性のアパートを訪問した男が門残払いを食う場面もある。その男は挙句に犬に吠えられるのだ。

とにかく脈絡のない場面が次々と現れる。そンなやり方でロイ・アンダーソンが何を表現したかったのか、おそらく本人以外にはわからないのではないか。






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