安全保障屋のウクライナ戦争観

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ウクライナ戦争をめぐって、日本でも様々な言説が飛び交っている。とりわけ防衛省関係の実務家が発する言説は、NHKをはじめ様々なディアで花形扱いの観を呈し、かれらの発する日米同盟堅持と日本の防衛力増強というメッセージが、いまや議論の基本的な前提のようになってしまっている。そういう風潮のなかで、小泉悠は比較的無色な立場をとろうとしているように見える。だが、今回彼が、雑誌「世界」の最新号(2023年10月号)に寄せた小文を読むと、彼もまた基本的には、防衛省の実務家と同じような立場に立っていることを、みずから認めているようである。だから防衛省的な見方はいまや、日本の安全保障論の標準になっていると受け取れる。

「ウクライナ戦争をめぐる『が』について」と題したこの小論のなかで、小泉は自分自身を安全保障屋と称したうえで、安全保障屋は日本という国の安全について考えるのが仕事であるから、いきおいリアリストにならざるを得ないというようなことを言っている。今の日本で安全保障についてリアリストになるということは、小泉によれば、日米同盟堅持と日本の防衛力増強という立場に立つことである。その立場から、ウクライナ戦争も見ることになる。すると、この戦争はアメリカがウクライナの側にたってロシアに向き合っているのだから、日米同盟堅持という立場からは、日本はアメリカに同調して、ウクライナを支援するべきだということになる。また、日本の防衛力増強という点では、ロシアと融和的な関係にある中国に対抗して、対中軍備増強を図るべきだということになる。

小泉によれば、今の日本には、ロシアの戦争責任について甘い姿勢をとっている者が多いということらしい。ロシアに対して甘い見方をするものは、「たしかに戦略戦争を起こしたロシアは悪いが」という具合に、ロシアを批判する場合にたいてい「が」という言葉を使って、ロシアの戦争責任を相対化しようとする。だが小泉によればそれは、現実を正しく見ない上に、危険な行いだということになる。

どんな事情があっても、戦争を引き起こした側は、いまの国際常識からすれば、ほぼ無条件で悪いのであって、どんな理屈を弄しても、戦争責任を免れることはできない。だから、日本人は、そんなロシアを徹底的に批判すべきであって、その批判に抜け道のようなものを設けてはいけない。いまどきこんな野蛮なことをするのは、他にはいないのであるし、また到底許されるものではない。小泉によれば、「血みどろの歴史の末に、我々は『戦争は起こしてはならない』というごく当たり前のことを国際秩序の原則とするところまで到達できたのであって、そのことをまずは大事にしたい」という意識をすべての人が共有すべきだということになる。そういういわば普遍的な意識に対して、ロシアは野蛮な挑戦をしているのであるから、そのロシアを平和の破壊者として非難すべきだということになる。

もっともそのロシアに対して、日米を含む西側諸国は、軍事力をもって対抗する姿勢をとっており、停戦に向けた努力をしているようには見えない。どう公平に見ても、この戦争を煽るような態度をとっている。そのことについては、小泉はほとんど考慮に入れていないようである。小泉は、「日米同盟の堅持と日本の防衛力増強、という筆者の結論が多くの『世界』読者からウケが悪いであろうということは承知している」と言って、煙幕を巻いているが、その煙幕には、事実をやや見えずらくするような工夫も含まれているようである。





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