ヒンドゥー国家に呑まれたG20

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先日行われたG20では、主催国のインドが巧妙な会議運営を行い、G20の団結を強化したとして、日本を含むG7諸国は、インドの首相モディに絶賛の拍手を贈った。日本のメディアも、岸田政権に追随してインドのモディ首相を褒めている。そういう風潮に異議を唱え、今回のモディ首相の会議運営を厳しく批判する者がいる。雑誌「世界」の最新号に「ヒンドゥー国家に呑まれたG20」という小文を寄せた中溝和也である。

中溝はインド研究者ということだが、当のインドのモディ首相の政治運営には厳しい見方をしている。かれは、今回のモディ首相のやり方を、G20の政治利用であり、G20を通じてヒンドゥー国家インドを国際的に宣伝したものだったと厳しく批判している。そのやり方は、「彼がインド国内で民主主義を切り崩してきた手法そのもの」である。そうしたモディ首相のやり方を中溝は「服従の政治」と概念化しているというのだが、それについては後回しにして、まず今回の会議で彼が何をやったかについて見てみたい。

中溝はモディ首相が、自分勝手にG20の共同声明を作って、それを事実上参加国に呑ませてしまったと指摘しながら、その声明に盛られた内容をいくつかとりあげて批判している。

まず、ウクライナ問題。これについては、国連憲章で定められた一般原則を述べるだけで、ほとんど何も言っていないに等しい。インドはかねてより、ロシア非難を控えており、そうした自国の政策を、G20において一方的に打ち出し、それを事実上認めさせたといって中溝は批判する。中溝としては、もっときちんとロシア非難をすべきだったと言いたいわけであろう。

次に、ヒンドゥー国家の大宣伝をG20の場で行ったということ。モディは、各国首脳への招待状の中に、インド大統領をバーラト大統領と記し、各国が招待状に文句をつけがたいことに付け込む形で、インドがヒンドゥー国家であることを大宣伝した。バーラトというのは、あのヒンドゥーの大叙事詩「マハーバーラト(偉大なバーラト)」が語るように、インドがヒンドゥーの国であるという意味だ。だがインドは、イスラムを含んだ多宗教国家であり、ことさらヒンドゥーを強調するのは、偏頗な民族主義(とうよりヒンドゥー至上主義)である。そのヒンドゥー至上主義をモディーはG20を利用する形で大宣伝した。

というわけで中溝は、モディがG20を都合よく政治利用し、それをG7諸国等のほかの参加国に呑ませてしまったことに違和感を示している。先ほど言及した「服従の政治」という概念が、ここでモディのやり方を特徴づける概念として浮かび上がってくる、服従の政治とは、中溝によれば、「指導者が政策を国民に一方的に通告する。そして即座に実施することによって既成事実化し、批判は聞かない。これが『服従の政治』の手法である」と言うのであるが、インド国民はともかく、日本を含めたG7諸国もそうしたモディのやり方に「服従」させられたということになるらしい。




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