大阪とデモクラシー

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雑誌「世界」の最新号(2023年11月号)が、「大阪とデモクラシー」と題する特集を組み、七本の小文を掲載している。大阪とデモクラシーの関係といえば、維新の会のことが真っ先に思い浮かぶが、この特集は、維新をとりげたもののほかに、万博問題とか子供の本のこととか、結構幅広くカバーしている。

維新をとりあげたものとしては、丸山真央の「維新の会の中抜き政治はどこに向かうのか」がある。これは、政治学者水島治郎が提起した「中抜き」概念を手がかりにして、維新の政治手法を分析したものだ。中抜きというのは、「政治家と有権者との直接的なコミュニケーション」をめざす「脱媒介型」の政治的コミュニケーションをさすのだそうだ。具体的には、地域団体や労働組合などの中間団体をとばして、直接有権者に訴えかける政治手法をいう。維新はそうした政治手法を通じて、大衆を動員することに成功してきたというわけである。

丸山自身は、中間団体の衰退は全国的な傾向なので、維新の政治手法は、他の地域でも有効になるかもしれない、と考えているようだ。たしかに、そうした傾向は指摘できる。ますます多くの有権者が、特定の中間団体への帰属意識から離れ、直接政党と向き合うような傾向が認められる。だから、丸山のような問題意識には一定の根拠があるといえよう。

丸山は「中抜き」という概念を使って維新の政治を分析しているわけだが、それは従来「ポピュリズム」と呼ばれていたものを、別の切り口から分析したものにすぎないともいえる。維新の創業者である橋下徹などは、典型的なポピュリストだった。その橋下が、中間団体を既得権者と決めつけ、直接有権者に訴えたことはたしかである。だから、ポピュリズムと中抜きとは密接な関係にある。だが、中抜きという概念には、ポピュリズムで割り切れるものにはとどまらないところがある、と丸山は考えているようだ。でなければ、わざわざそんな言葉は使わないだろう。

維新が大阪人の強い支持を集めている背景には、どうやら大阪人特有の事情が働いているらしい。それを感じさせるのが、木津毅の「大阪で生まれた男やけれど」という小文である。これは、大阪人の対東京コンプレックスというべきものを論じたものだが、大阪人の東京への対抗心が、大阪らしさへの過度のこだわりを生んでいると指摘している。そのこだわりを、維新はうまく利用した。失敗に終わったとはいえ、大阪都構想はそうした対東京コンプレックスの現れだといってよく、また、万博などもそうだと木津はいう。そういわれてみると、大阪のことについて日頃無頓着な小生などは、ああそうか、と思わせられたりする。なお、この小文のタイトルは、「大阪で生まれた女やさかい」という歌の文句を踏まえている。この歌はある意味大阪人の本音を語っていると木津は考えているようだ。そこで小生はこの小文を読んだ後で、当該の歌を聴いて、大阪人の大阪人としてのこだわりを感じた次第である。





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