謎の女ナスターシャ・フィリッポヴナ:ドストエフスキーの小説「白痴」から

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小説「白痴」の中でもっとも強い存在感を発揮しているのは、主人公のムイシュキン公爵を除けばナスターシャ・フィリッポヴナという女性である。この女性は、ドストエフスキーの小説で初めて登場する新しいタイプの女性である。この女性は非常に複雑な性格に描かれており、一筋縄の理解を拒むような謎に満ちた存在なのだが、それでもあえて彼女の特質を単純化していえば、自滅型の女性ということになるのではないか。彼女の行動には、とても合理的に説明できないような部分が多すぎるし、というより、自分にとって不利な行動に走り、そのために破滅しかねない目にたびたび合う。その挙句に、ロゴージンの手にかかって死ぬのであるが、その死に方には自殺の影がただよっている。彼女はだから、死ぬために生まれてきたといってよいほどなのだ。こんなタイプの女性は、ドストエフスキーの他の小説には見られないし、また、ロシア文学の伝統からも大きく逸脱した人物像というべきである。

このナスターシャ・フィリッポヴナにムイシュキン公爵はまいってしまうのである。かれは彼女に会わないうちから、(ロゴージンを通じて)その魅力に取りつかれてしまい、じっさいに会ってからは完全に悩殺されてしまう。彼女のほうがムイシュキンに魅了されたということはない。彼女はたしかにムイシュキンを受け入れ、一時はその情婦のようにさえ振舞うのであるが、最後までムイシュキンを愛してはいなかっただろうことは、ムイシュキンとの何度目かの結婚の約束を破り、死ぬために婚礼の場を去ったことからうかがわれる。彼女が死ぬために生まれてきたというのは、常に死を意識しながら生きていたということである。

何が彼女をそんな気にさせたのか。それは、表向きには、彼女の育った境遇に原因があるというふうに書かれている。彼女は孤児の境遇を富豪のトーツキーに拾われ育てられたということになっている。成長後はトーツキーの慰め者になった。トーツキーという男は、小説の中で大した役割を果たしておらず、単にナスターシャ・フィリッポヴナの支配者というふうにしか描かれていないので、その人物像は曖昧である。だが、どういうわけか、ナスターシャ・フィリッポヴナを独占し続けようとはせずに、彼女を持参金付きで結婚させようとする。その相手として選ばれたのは、ガブリーラ(ガーニャという愛称で呼ばれる)という男である。この男は、イヴォルギン将軍の息子で、なかなかの曲者である。この男との結婚話に、ナスターシャ・フィリッポヴナは乗り気になれない。トーツキーが自分を商品か何かのように扱っているからだ。そこで、その結婚話をぶち壊すために、一計を案ずる。ロゴージンがその計略の片棒を担ぐ。彼女の持参金として用意された金額以上で、彼女を買い取ろうというのである。こんな人身売買めいた話がまことしやかに語られるところに、この小説の異様さの一つの現れを見ることができる。

彼女は、いったんロゴージンと一緒に暮らしたりするが、やがてロゴージンと別れて自立した生き方をめざす。そんな折に、ムイシュキン公爵との関係を深める。彼女がムイシュキン公爵と懇ろな関係になったいきさつは曖昧である。彼女は、始めて会ったときからムイシュキン公爵を白痴だとみており、したがってまともな交際相手とは考えていなかったはずなのだ。その彼女が、ムイシュキン公爵と一時期同棲したり、婚約したりするのは非常に不自然なのだが、それはどうも彼女が自暴自棄になっていることを暗示しているようなのである。

彼女の自暴自棄ぶりは、常軌を逸した行動を繰り返し、世間の嘲笑を自ら招くところにも現れる。ムイシュキンとの婚約話も、やはり彼女の自暴自棄からきているようなのだ。なぜ自分に対してそんなに軽はずみであることができるのか。そこをどう解釈するかによって、小説の読み方の度合いの深さの違いも決まってくるのではないか。

ナスターシャ・フィリッポヴナとアグラーヤ・イヴァーノヴナの関係は実に変わったものだ。二人は一応、ムイシュキン公爵をめぐって恋敵の関係にあるのだが、二人とも心から公爵を愛しているわけではない。ナスターシャ・フィリッポヴナのほうは、公爵を自暴自棄を演じるについての小道具として利用しているフシがあるし、アグラーヤ・イヴァーノヴナのほうは、自分の女としてのメンツを保つために、ナスターシャと張り合うのだ。しかもナスターシャはアグラーヤに対して意味深長な手紙を出したりする。その手紙の中で彼女は、アグラーヤに対する同性愛めいた告白をしている。それをどう受け取ったら良いのかアグラーヤは混乱する。その混乱を解消する意図からも、彼女はナスターシャと直接会って、自分と彼女との関係を整理したいと思う、だが、その二人の会談にはムイシュキン公爵が立ち会っていた。彼の存在が、二人の女性の気持ちを乱し、意外な結果を呼ぶ。アグラーヤは、ムイシュキンが自分だけを愛しているわけではないと判断して彼との関係を絶ち、一方ナスターシャのほうは、行きがかり上、かれと正式に婚約する羽目になる。だが、彼女にはそもそもムイシュキンの妻になる気などなかったのである。

そんなわけで、ナスターシャ・フィリッポヴナは、ムイシュキン公爵との婚礼の当日に、ロゴージンを伴って会場から蓄電する。その直後に彼女は、ロゴージンの手にかかって死ぬ。死因の真相は小説の文面からは明らかではない。しかし彼女がロゴージンに命じて自分を殺させたというふうに伝わってくるのである(ロゴージンは彼女の胸をナイフでさしたのだが、ほとんど出血しなかった。それは彼女が覚悟の上で、自分の胸をさしだしたからだと推測できる)。彼女はおそらく自分の人生に絶望し、生きる気力を失ったのだと思う。ドストエフスキーは、絶望した女性を描くのが好きだったが、ナスターシャ・フィリッポヴナほど深い絶望を感じさせる女性はほかにない。





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