古鏡:正法眼蔵を読む

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「正法眼蔵」第十九は「古鏡」の巻。古鏡は、「こきょう」とも「こきん」とも読む。鏡のことである。単に鏡といわず「古鏡」というのは、道元一流のこだわりからだという。寺田徹によれば、道元はほかのすべての巻の題名を漢字二字以上であらわしており、この巻にもその主義を適用したというのだ。

「古鏡」とは、さとりによって獲得された知恵を、象徴的に言い表した言葉である。その知恵は仏の本性と言い換えることができるから、仏性ともいえる。その仏性を古鏡にたとえて、仏性とはいかなるものかについて考察するのがこの巻の趣旨である。

冒頭の次の文章で、この巻の趣旨が総論的に述べられる。「諸仏諸祖の受持し単伝するは古鏡なり。同見同面なり、同像同鋳なり、同参同証す。胡来胡現、十万八千、漢来漢現、一念万年なり。古来古現し、今来今現し、仏来仏現、祖来祖現するなり」。諸々の仏祖たちが受持して、弟子に単伝(直接伝えること)してきたのは古鏡である。みな同じようにその鏡を見、そこにうつった自分の姿はそれぞれ同じものである。同じようにかたどられ、同じように鋳造されている。その鏡に即して同じように参学し、同じように修行する。その鏡は、胡人が来れば胡人の姿を映す。十万八千回にわたって同じである。漢人が来れば漢人の姿を映す。一瞬のうちに永遠を映し出す。今にあっては今を現わし、仏が来れば仏を現わし、祖(先駆者)が来れば祖を現わす。わかりにくい言い方であるが、趣旨は、釈迦以来の仏祖の教えが、直系的に伝わってきているが、その教えとは古鏡にたとえられるようなものであり、「同見同面」以下のことが指摘できるというのである。これをさらにつづめて言うと、古鏡とは、仏性としての真理を象徴するものだということになる。

続いて、第十八祖伽耶舎多と古鏡とのかかわり、第三十三祖大鑑禅師、南嶽大慧禅師、雪峰真覚大師、㜈州金花山国泰院弘瑫禅師、江西馬祖それぞれについて、かれらの古鏡との関係について述べられる。いずれも道元が古仏と呼んでいるような禅僧たちであり、かれにとって法統につながるものであり、したがって教えが単伝されてきた仏祖という位置づけの人たちである。その中で道元がもっとも多く紙幅を費やしているのは、雪峰真覚大師である。

まず、第十八祖伽耶舎多。これは釈迦牟尼から数えて第十八代目の仏祖伽耶舎多をさす。西域の人である。その人が生まれたときに「浄明の円鑑」が同時に現れた。円鑑とは円鏡のことである。それが古鏡と言い換えられる。その鏡は、仏性を体現していた。その仏性はとりあえず伽耶舎多とは別のものとして現れたのだが、伽耶舎多が悟りを開いて仏となると、消えてなくなった。伽耶舎多自身が古鏡となったので、別途古鏡が存在する必要がなくなったからである。

第三十三祖大鑑禅師とは禅宗第六祖慧能のこと。この人が黄梅山で師匠の弘忍のもとに修行していた時、兄弟子の神秀の偈を批判する偈を作った。かれは文字の読み書きができなかったので、それを同僚に書いてもらって、壁に張り出したのである。神秀の偈は「身是菩提樹 心如明鏡臺  時時勤拂拭 莫使有塵埃」というもの。それに対して彼は、「菩提本無樹 明鏡亦非臺 本來無一物 何處惹塵埃」と読んで批判した。菩提にも明鏡にも実在性はないのだから、塵をはらうなどナンセンスだという意味だ。真理には実在性はないというのである。師匠の広忍は、一番弟子の神秀をさしおいて、慧能を後継者に選んだ。

南嶽大慧禅師は禅宗第六祖慧能の後継者(法嗣)。ある僧が禅師に向かって問うた。「如鏡鑄像、光帰何処(鏡に像をいるとしたら、光はどこへ去ってしまうのか)」。それに対して大師は、「大徳未出家時相貌、向甚麼処去(あんたが出家していなかったとき、あんたはどんな顔つきをしていたのかね)」と答えた。この問答の意味は、鏡は像鋳る前鋳た後も同じ鏡であるということである。そのことで、真理の連続性を強調しているわけである。

雪峰真覚大師にかかわる話は、この巻のなかで最も長く、全体の半分を占めている。弟子玄沙とのやりとり(前後二回)と三聖院慧然禅師とのやりとりからなる。玄沙とのやりとりでは、雪峰は受け身にたっている。玄沙の質問に正面から答えず、逃げをうっている印象である。たとえば、玄沙から「たちまちに明鏡来にあはんに、いかん」と問われれて、その言葉をオウム返しするところなどである。それについて玄沙から、「百雑水(くだらぬ)」とか、「老漢脚跟未点地在(和尚さんは脚が地についておりませんな)」などと批判されるのである。これは「伝燈録」などに記載された事実らしいが、道元はなんとか雪峰に恥をかかせないような書き方をしている。

三聖院慧然禅師とのやりとりでは、雪峰が山でサルを見て、「この獼猴、おのおの一面の古鏡を背せり」といったことを中心にして話が進む。話が進んで、「獼猴か、古鏡か。畢竟作麼生道。われらすでに獼猴か、獼猴にあらざるか。たれにか問取せん」と雪峰が言うと、三聖院は「歴劫無名なり、なにのゆゑにかあらはして古鏡とせん」と言って批判する。「そんなものは昔から名前をつけて言わなかったことだ、それを何故古鏡などというのだ」と反論するのである。それに対して雪峰は、「老僧罪過(ごめん、ごめん)」といって謝る。こんな具合で、雪峰にかかわる話は、長いにかかわらず、内容の薄いものである。ちなみに三聖院慧然禅師は臨済の法統であって、曹洞の法統とは異なる。

㜈州金花山国泰院弘瑫禅師については、ある僧とのやりとりが紹介される。その僧が、「古鏡未磨時如何(鏡を磨かなかったときはどうだったのか)」と問うたのに対して、禅師は「古鏡」と答えた。古鏡は、磨かない前にも磨いた後でも古鏡だというのだ。真理に変動はないという意味だろう。

最後の馬祖。これは師匠の南嶽とのやりとり。馬祖が座禅して十年たったときに南嶽から「何をしているのだ」と聞かれ、「只管打坐するのみなり」と答える。そこに道元は非常にさとるところがあったと思っているようである。座禅して何になるのかという、師匠のちょっと意地悪な質問に対して、馬祖は、「仏になることだ」と答える。道元にとって「只管打坐」とは仏道そのものだたったのである。





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