デリダ「精神について」:ハイデガーの精神概念をめぐって

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ジャック・デリダが「精神について」を書いたのは1990年のことだ。「脱構築」の哲学者としての名声を確立していた。かれの脱構築の思想は、ニーチェやハイデガーの強い影響を感じさせるのだが、初期の活動においては、ハイデガーを主題的に論じたことはなかった。この書「精神について」は、副題「ハイデガーと問い」にあるとおり、ハイデガーについて主題的に論じたものだ。デリダはそのハイデガー論を「精神」という概念を中心にすえて展開する。

ハイデガーの「精神」概念には、どこか胡散臭いところがある。それをハイデガー自身ある程度自覚していたので、その言葉を注意深く使ったほどである。もっとも晩年には、そういったうさん臭さのうえに胡坐をかいて、なりふり構わぬ言動をするようになった。そんなハイデガーの「精神」概念の胡散臭さの実質をあぶりだそうというのが、この小著の目的のようである。

ハイデガーのいう「精神」とは抽象的な概念ではない。それは民族の精神というのとほぼ同義で、特定の民族と結びついた概念である。その民族のうちでも、ドイツ人は特権的な地位を占める。ドイツ人こそが、地上でもっとも偉大な民族なのであり、そのドイツ人のドイツ人たる所以をなすのが、ドイツ人的な精神なのである。精神は別にドイツ人に固有のものではなく、たとえばギリシャ人やフランス人も持ってはいるが、しかし真の意味で精神と呼ばれるべきはドイツ人の精神以外にはありえない。とりあえずそんな風に、ハイデガーの「精神」概念を特徴づけることができる。そのうえでデリダは、ハイデガーの精神概念の欺瞞性について指摘しながら、ハイデガーという思想家の特異な立ち位置について批判するのである。どうのこうの言っても、デリダはフランス系のユダヤ人(あるいはユダヤ系のフランス人)であるから、ドイツ人だけが立派な精神の体現者だと断定するハイデガーの傲慢さには、腹の立つのを禁じざるを得ないといった様子が、この小著からは伝わってくるのである。

デリダは、ハイデガーの精神概念についての言説には、時期的な変遷があるという。「存在と時間」(1927年)の時期においては、「精神」という言葉は注意深く避けられ、それを使わざるを得ないときには、カッコつきで使っていた。ところが「ドイツ大学の自己主張」(1933年)とその二年後の「形而上学入門」(1935年)になると、「精神」という言葉をカッコ抜きで使い、しかもさも自分の思想の中核概念のように扱うようになった。ハイデガーの言説の中で、「精神」という概念が中核的な意義をおびるようになったわけだ。それからほぼ二十年後には、その時期はハイデガー晩年の思索の時期といってよいが、「精神」という言葉の内実がさらに深く掘り下げられた。それを単純化していうと、「精神」という言葉を、ギリシャ的・キリスト教的な意義の言葉と純粋にドイツ的な意義の言葉とに区分け、ドイツ的な意義の「精神」に優位性を認めようとするものであった。そうなると、ドイツ的な意義での精神性を体現するのはドイツ人だけとなるので、世界中の民族のうちで、真に精神性を体現しているのはドイツ人だけということになる。

つまりハイデガーは、ナチス時代にドイツ人の精神性を強調していたその民族主義的な姿勢を、戦後しばらく経た後で、哲学的に深く基礎づけたといえる。そう見るとハイデガーという思想家は、ドイツ精神の哲学的な基礎づけに生涯を捧げた、きわめてナショナリスティックな思想家ということができる。すくなくともデリダはそう解釈しているわけである。

ここでちょっと後戻りする。ハイデガーが「存在と時間」の中で「精神」という言葉を注意深く避けていたのは、精神という概念を軽視していたからではない。もしハイデガーが、自分の哲学的な出発点において、「精神」という概念を頭から軽視していたのであれば、それから十年もたたないうちに、その「精神」概念を表に出し、しかもそれを自分の思想の中核概念のように取り扱うといった事態はあまりにも不自然であろう。ハイデガーが「存在と時間」において、「精神」という言葉を避けていたのには、それなりの理由がある。

それは、「存在と時間」という書物の持つある種の制約によるものである。「存在と時間」は、表向きは「現存在」分析の書であって、したがってとりあえずは、世界に投げ出された個人を対象にしていた。その個人が民族精神を体現しているという仮定は当然成り立つわけであるが、最初からそんなものを持ち出しては、「現存在」についての厳密な分析は期待できない。ハイデガーがこの書において対象としたのは、民族性とか歴史を背負った特定の個人ではなく、いわば理念的な存在としての個人であった。そういう個人の設定に、民俗的な特性をはじめから持ち込んでは、議論が濁ることになる。そんな判断が働いて、民族性を強く感じさせる「精神」という言葉を、ハイデガーは注意深く避けたというわけであろう。

ところが、1933年の総長就任演説「ドイツ大学の自己主張」では、とりあえずは厳密な哲学が問題になっているわけではないという事情も働いて、ドイツ民族の本質を構成する「精神」というものを、臆面もなく持ち出してはばからぬ次第となった。この演説は半ば政治的なプロパガンダというべきものであって、哲学者を自認する人間には相応しいとは思われなかったので、ハイデガーはあらためて、その「精神」を哲学的に根拠づける必要を感じた。その根拠づけの努力が「形而上学入門」となって現れた、とデリダは考えるのである。





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