アルチュール・ランボーとわが青春 落日贅言

| コメント(0)
先般の投稿で「私の三冊の本」をテーマにした際に、最初の一冊としてアルチュール・ランボーの詩文集をあげた。そこで小生がなぜランボーに強くこだわるのか、そのことについて改めて書いてみたいと思う。いつ死んでもおかしくない老人である小生が、いまさら「わが青春」を語るというのも滑稽に思われるかもしれないが、そこは我慢して読んでいただきたい。

小生がはじめてランボーを読んだのは高校に入学してまもなくのことだった。小生は中学生の頃に小林秀雄を愛読しており、その小林がランボーにいかれていたので、ランボーの名前だけは知っていた。しかし中学校の図書室にはランボーの本はなく、また、町の本屋にも見当たらないので、直接読む機会はなかた。ところが高校には大きな図書館があって、ランボーの本もあった。それは筑摩書房から刊行されていた世界文学大系の一冊で、マラルメ、ヴェルレーヌと並んでランボーをフィーチャーしたものだった。「地獄の一季節」と「イリュミナシオン」のほか、初期の詩数編と二十本余りの書簡を収めていた。「イリュミナシオン」は小林の訳である。

早速その場で目を通した後、貸し出しの手続きをとって家に持ち帰り、夢中になって読んだ。その後神田の本屋街に赴いて、同じ本を買い求めた。その本はいまだに小生の座右においてある。ともあれ、かれの文章には、小生のような未成年をも夢中にさせるものがあった。どの文章も小生を夢中にさせたが、なかでももっともショッキングだったのは、「地獄の一季節」の中の「錯乱Ⅱ」の冒頭の言葉だった。それは、「聞いてくれ。僕の数ある狂気の中の一つの物語」(秋山晴夫訳)というものだった。この節は、「最高塔の歌」など、彼の詩のいくつかも含んでおり、劇的な構成をもつ「地獄の一季節」のなかでもひときわ劇的な感じを受けるものだ。ランボーは自分を役者に見立てて、観客にアピールしているといった印象をまず受けたのだが、それにしても、自分とあまり変わらぬ年齢の少年が、すでに数ある狂気をくぐりぬけてきたというのが、小生にとってはショッキングだったのだ。その時小生は十五歳であり、「最高塔の歌」を書いたときのランボーは十七歳だった。この本の中には、「ルイ十一世に宛てたるシャルル・ドルレアン大公の書簡」という文章が収められているが、それはかれが十五歳のときに書いたものである。この書簡体の文章は、フランソア・ヴィヨンの助命を歎願するという設定なのだが、幼いランボーがヴィヨンを師と仰いでいたことを感じさせるものである。

「地獄の一季節」はヴェルレーヌから離別した後に書かれたものだ。ヴェルレーヌとの共同生活をランボーは「地獄の一季節」と呼んだわけである。「イリュイナション」は、1875年の2月にはその草稿をランボーがヴェルレーヌにわたしていることが明らかになっている。そのときランボーは二十歳だった。これもまた、ランボーとヴェルレーヌとの共同生活が主なテーマである。

ランボーには、パリ・コミューンの体験があり、それを通じて社会的な批判意識もあったのだが、幼い小生にはそうした社会的な事柄はまだ理解できず、もっぱらランボーを無垢で反抗的な少年というふうに受け取った。そうした無垢なイメージは、その後に入手した初期詩編の数々に現れている。小生はそれらの初期詩編の幾つかを日本語に翻訳して楽しんだものである。そのうちの一つ「夏の感触」(拙訳)を紹介したい。

  夏の青い黄昏時に 俺は小道を歩いていこう 
  草を踏んで 麦の穂に刺されながら
  足で味わう道の感触 夢見るようだ
  そよ風を額に受け止め 歩いていこう

  一言も発せず 何物をも思わず
  無限の愛が沸き起こるのを感じとろう
  遠くへ 更に遠くへ ジプシーのように
  まるで女が一緒みたいに 心弾ませ歩いていこう

これはランボーが十五歳の時につくったもので、テオドル・ド・バンヴィルに宛てた手紙の中に紹介されている。ランボーは当時の有名人だったバンヴィルに自分の才能を評価してもらいたかったようである。「まるで女が一緒みたいに」とあるが、ランボーが女に愛を感じたということは、本当らしく聞こえない。なにしろ毛の生えた尻の穴にエロチシズムを感じるというのがランボーの性的嗜好性であるし、ヴェルレーヌとは同性愛者の関係だったのである。「地獄の一季節」は、狂気の処女と地獄の夫との愛憎劇をテーマにしているのだが、狂気の処女はヴェルレーヌをさし、地獄の夫はランボー自身をさすのである。ランボーはまた、「イリュイナシオン」のなかの「苦悶」の冒頭で、「次々に砕かれていく俺の野心を、女が俺に赦してくれることなどありえようか」と叫んでいるが、その女もやはりヴェルレーヌのことである。

しかし、そうしたランボーの同性愛趣味とか社会的な批判意識といったものは、しばらく年齢を重ねて分かってきたことで、まだ十五歳の小生の視界には入っていなかった。小生はただひたすらランボーを一個の驚くべき異端児といった具合に受け止めていた。そうした異端児に自分もみならいたいとは必ずしも思ったわけではないが、同じような年齢の人間とか、あるいは社会のあり方を評価する際の基準の一つを与えられたように感じたことはたしかである。その結果小生は、幼いながらに冷笑的な視線を身に着けたようである。同級生はじめ周囲の若い連中がバカに見えたり、社会のしきたりが不合理に感じられるようになったりした。こうした冷笑的な態度は、その後の小生にとって基本的な性格を構成する要素となったように思う。

ランボーの社会的な批判意識が多少わかるようになったのは、ボードレールを介してだった。ボードレール自身は必ずしも社会的な批判意識を内在化していたわけではなく、母親との関係を通じて社会を評価する癖がついていたのだったが、その母親との関係を通じて、社会に対して敵対的な態度をとるようになった。かれが1848年の二月革命に熱狂したことはよく知られているが、それはこの革命を通じて、自分から母親を奪った体制側の将官(オーピック大佐)に復讐するためだったのである。ランボーの場合には、1871年のパリ・コミューンにかかわった。意識的にかかわったわけではなく、巻き込まれたといってよいが(なにしろまだ十六歳の少年である)、その体験を通じて強烈な政治意識を持つようになったことはたしかである。かれがはじめてヴェルレーヌと会うときに持参した詩「酔いどれ船」は、パリ・コミューンの体験をモチーフにしたものと受け止めることができる。酔いどれ船とは難破した船という意味であり、その難破した船はパリ・コミューンの無残な姿をあらわしており、その無残な姿はブルジョワ社会の狡猾さの犠牲だというメッセージを、ランボーはこの詩に込めたといえる。

ボードレールを日本語の翻訳で読むうちに、フランス語の原文で読みたいと思うようになった。そこで独学でフランス語を習得し、神田の田村書店に出かけて行って「悪の花」のテクスト(クラシック・ガルニエ版)を買い求め、夢中になって読んだ。そのついでにランボーの詩文集のテクスト(これもガルニエ版)も買い求め、やはり夢中になって読んだ。上述した「苦悩 Angoisse」の冒頭はフランス語原文では次の如くである。

  Se peut-il qu'elle me fasse pardonner les ambitions continuellement écrasées?

小生がフランス語を本格的にやっていたのは、高校二年生の頃である。その頃同級生のある女生徒が小生にイタリア語の学習書をもってきてくれて、「あなたフランス語をやっているんですって? ついでにイタリア語もやりなさいよ」と言うのであった。彼女によれば、フランス語とイタリア語は親戚関係にあって、どちらか一つを学べば、ほかの一つも習得しやすいというのである。彼女は目が覚めるような美人だった。声も綺麗だった。そんな彼女を小生は日頃にくからず思っていたので、この思いがけない申し出はうれしかったのだが、なにせ小生は、男女関係については奥手だったので、彼女との関係を深めることはできなかった。

その頃の小生は、ランボーにならってぼさぼさ頭だった。ランボーの肖像といえば、さっぱりした髪型で気取った写真が有名だが、ファンタン・ラトゥールの描いた油彩の肖像画もあって、それにはぼさぼさ頭で描かれているのである(ランボーの髪の色はブロンドで、目は青かった。ラテン化したケルト人であるガリア人の特徴である。ランボーはガリア人を自認していた)。周囲の連中は、そんな小生のヘアスタイルを、ランボーではなくビートルズに結びつけた。当時の小生の綽名はビートルズだったのである。その髪型は若い連中には気軽に受け入れられたが、教員のなかには頑迷固陋な分子もいて、小生はそうした分子の一人にこっぴどくビンタを食らわされたものだった。

ビンタを食らった理由はほかにもあった。小生は気楽につきあっている同級生に声をかけて、授業をすっぽかして近隣の山林を放浪して歩いたものだったが、それが教員たちに問題にされ、ある種の不良扱いを受けた。それが頑迷固陋な分子に小生への制裁を促したのだと思う。

やがて卒業の季節が来た。例のイタリア語の女生徒と別れなければならなくなった。小生は彼女にかなりこだわっていた。だがそれを具体的に表現する能力に欠けていた。つまり失恋したわけである。小生はその失恋をなかなか受け入れることができず、ぐずぐずと女々しい思いにふけっていた。その思いを日記の中で吐いたこともあった。その際の言葉はランボーではなく、ボードレールにならったものだった。ボードレールの散文に別れることへの未練を語ったものがあるが、小生はそれに倣って次のように書いたのである。
 
  芝居の幕はとっくにおろされたのに
  俺はまだ何かを期待していた

まあ以上が、小生のなさけない青春の一齣である。






コメントする

アーカイブ