キリーロフの自殺:ドストエフスキー「悪霊」を読む

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キリーロフの自殺は、シャートフの殺害とならんで、小説「悪霊」の最大の山場だ。この二人は、ともに革命組織に属したことがあり、また、一緒にアメリカでの生活をしたうえで、故郷の町に戻ってきて、同じアパートで暮らしているが、互いに避けあうような仲になっていた。その二人のうち、シャートフは密告の懸念を理由に殺されるのであるが、キリーロフは別の形で利用される。キリーロフには自殺願望があって、それをピョートルが組織のために利用しようと考えたのだ。かれに適当な時期に自殺させ、そのさいに遺書を残させる。遺書には組織にとって都合のよいことを書かせておく。組織がやった犯罪行為を、自分がやったように見せかけ、官憲の操作をかく乱することが目的なのだ。ピョートルの目論見どおり、キリーロフはピョートルに都合のよい遺書を残して死んだ。

そこでキリーロフという人物については、彼がなぜ自殺願望を持つに至ったかが問題となる。それについては、キリーロフが自殺の意志を表現する場面がいくつかある。主なものは、スタヴローギンから決闘の介添人を頼まれた時のやりとり、及びピョートルから自殺の実行を促されたときのやり取りである。それらのやり取りのなかで、キリーロフは自分が自殺を決意した理由の一端を語っている。

その前に、小説の語り手アントン・ラヴレンチェヴィッチに向かって、自殺についての一般論的な見解を示している。その時には、かれはすでに自殺を決意しているので、人間が自殺することはごく自然なことだという確信をもっている。かれによれば、自殺する人には二種類ある。一つは非常な悲しみや憎しみから自殺する人、でなければ大した考えもなく突然自殺する人。問題なのは前者のタイプの自殺である。非常な悲しみや憎しみは生きることの苦痛や恐怖からくる。そこから次のような理屈が展開される。「生は苦痛です、生は恐怖です。だから人間は不幸なんです。いまは苦痛と恐怖ばかりですよ。いま人間が生を愛するのは、苦痛と恐怖を愛するからなんです。そういうふうに作られてもいる。いまは生が、苦痛や恐怖を代償に与えられている。ここにいっさいの欺瞞のもとがあるわけです。いまの人間はまだ人間じゃない。幸福で、誇り高い人間が出てきますよ。生きていても、生きていなくても、どうでもいい人間、それが新しい人間なのです。苦痛と恐怖に打ち勝つものが、みずから神になる。そしてあの神はいなくなる」(江川卓訳)

この理屈だと、自分は新しい人間、自ら神としての人間となるために自殺するのだということになる。死んで神となるというのは、これはキリスト教的な思想だ。キリストも死ぬことで神と一体となったのだ。もっともロシア正教を含めて、キリスト教は自殺に否定的なのだが。

スタヴローギンがキリーロフに決闘の介添人を頼んだのは、キリーロフなら断らないという確信があったからだ。その理由は明らかにされていないが、キリーロフにとって死は親しいものだと考えたのでもあろう。じっさいキリーロフは、二つ返事で了承する。その際にスタヴローギンは、キリーロフに向かって、「君はまだ同じ考えなんですね?」と尋ねる。同じ考えというのは、自殺するという考えのことである。キリーロフは「同じです」と答える。この時点で、スタヴローギンは決闘相手を殺す意志はもっておらず、自分が殺される可能性も念頭にあった。だから自分が死ねば、それは自殺と大した相違はないということになる。だから、スタヴローギンがキリーロフを介添人に選んだのは、自殺の観念を共有していたからだと言えなくもない。

そうしたスタヴローギンの意志を見抜いたのだろう、決闘が終わった後、なぜ相手を殺そうとしなかったかとキリーロフはスタヴローギンに問い詰める。相手を殺す意志がないのなら、決闘を申し込む理由がない。それにスタヴローギンが生き残ったのは、相手への侮辱にほかならない。初めから相手を侮辱するつもりで決闘を申し込んだと受け取られてもしかたがない。それに対してスタヴローギンは、それよりやりようがなかったと弁明する。自分は死ぬのは怖くないが、相手の侮辱を耐え続けることはできない、というのだ。決闘をすれば、相手の侮辱もやむだろう。自分はそれを期待して、殺される可能性を受け入れながら、決闘を申し込んだというのである。それについてキリーロフは、「僕にとって重荷が軽く思えるのが生まれつきだとしたら、きみにとって、重荷がつらく思えるのも、やはり生まれつきかも知れませんね」と感想を述べる。キリーロフは、自分の自殺については鷹揚だが、他人が自殺的な行為をするのは、あまりよくは考えていないのだ。

キリーロフはかねてから、自分の自殺をピョートルらが利用することを了解していた。なぜそんな気になったのかわからない。本人は、どうせ自殺するのなら、いつ死んでも同じだし、また、他人が自分の自殺を都合よく利用するのもかまわないと言っているのだが、他人の都合で自殺することの大した理由にはならないだろう。そこが、キリーロフという人間の不可解なところだ。また、そんなキリーロフが自分たちの都合に合わせて死んでくれるだろうと期待するピョートルも不可解なところがある。

自殺の実行はシャートフ殺害の直後に設定される。キリーロフの遺書に、この殺害について事実関係を歪曲し、官憲を惑わせるようなことを書かせることが狙いだ。その場面で、キリーロフとピョートルの間でやりとりがある。その中でキリーロフは、自分が自殺することの意義を主張する。やはりキリーロフは、一人でひっそり死んでいくより、他人にその意義を知ってもらいたいタイプの人間のようである。自分が自殺する理由は、神を信じていないことを証明するためだとキリーロフは主張する。「ぼくには、自分が信仰をもっていないことを信ずる義務があるのだ。ぼくは自分ではじめ、自分で始末をつけ、扉を開いてやるのだ。そして救ってやるのだ。このことだけがすべての人を救い、次の世代を肉体的に生まれ変わらせることができる方法なんだ」。

それに対してピョートルは、キリーロフはいまだに神を信じていると受け取る。「何より頭にくるのは、あいつが坊主より熱心に神を信じていることだ・・・絶対に自殺なんかしっこない! ああいう、<思弁だけの>やつらが、このところやけに増えてきたな」。実際にはキリーロフは、拳銃で自分の頭を撃って死ぬのである。






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