ゴヤ「マドリード市の寓意」 歴史に翻弄された絵

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ナポレオンのスペイン侵略にともない、ナポレオンの弟ジョゼフがスペイン国王となった(スペイン語ではホセ)。1808年のことである。マドリード市では、ジョゼフ国王をたたえるための肖像画の制作をゴヤに依頼した。その結果が、1809年の作品「マドリード市の寓意(Alegoría de la Villa de Madrid)」である。

マドリード市の意向は、マドリードの守護女神が国王ホセをたたえるというものだった。そこでゴヤは、卵型のメダルのようなものにホセの肖像画を描き、それをマドリードの守護女神が指さして称えるという構図で制作した。ところが、ナポレオンが敗北して、スペインの王室が王権を回復すると、市では、ホセの図柄をフェルナンド王に変更するよう依頼した。ゴヤはその仕事を、弟子のアランダにまかせた。

ゴヤの死後も、メダルの中の図柄は幾たびか変更され、最終的に今日のような形になった。DOS DE MAYOとあるのは、「五月二日」という意味で、マドリード市民がナポレオンに抵抗して蜂起した日を記念したものである。

女神は、マドリード市の紋章を描いたカーペットの上に立ち、左手でメダルを指さしている。二人の若者がメダルを支え持ち、上部にはトランペットを吹く若者らが描かれている。ともあれ因縁の多い絵である。

(1809年 カンバスに油彩 260かける195㎝ マドリード歴史博物館)






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