イギリス映画「アナザーワールド鏡の国のアリス」 ルイス・キャロルのファンタジー

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1998年のイギリス映画「アナザーワールド鏡の国のアリス(Alice through the Looking Glass)」は、ルイス・キャロルのファンタジー小説「鏡の国のアリス」を映画化したもの。テレビ放送のために制作されたが、のちに劇場でも上映された。キャロルの作品のうち、「不思議の国のアリス」は多くの国で映画化されたが、「鏡の国のアリス」そのものを映画化した例は他にはないのではないか。その点、この映画は貴重なものであると言えよう。

筋書きはほぼ原作に沿っているが、一つ大事なところが違っている。原作では少女アリスが鏡の向こう側へスルーして、チェス盤に見立てられた土地を移動し、あちこちで不思議な体験をするのであるが、この映画では、アリスの母親がアリスに本を読んで聞かせている間に、いつのまにか鏡の向こう側へスルーしたということになっている。だからアリスの冒険ではなく、アリスの母親の冒険なのだ。もっとも母親は母親のままではない。いつのまには少女に変身しているのである。この映画の中の母親は、年齢は七歳半の少女なのだ。だが顔つきは母親のままである。

筋書きはあまりにも有名なので、とくに触れることはしない。もっとも愉快なのはツイードルディーとツイードルダム、そしてハンプティダンプティとの出会いで、これは映画の中のハイライトにもなっている。ライオンと一角獣の対決はあまり重視されていない。

見どころは、アリスが次々と繰り出すダジャレなどの言葉遊びだろう。これは原作でももっとも肝心な部分で、キャロルはその言葉遊びを楽しむためにアリスを利用したのだと思われる。カバン語はその最たるもので、ほかにもパラドックスに満ちた言葉遣いが連発される。

その言葉遊びを楽しんで見ていると、小生はフランスの哲学者ジル・ドゥルーズを想起した。ドゥルーズは「意味の論理学」という書物の中でアリスの冒険について熱心に語っているのであるが、それは主としてカバン語などの言葉遊びを、哲学的に考察するというものである。ドゥルーズのその書物が出版されたのは1969年のことであるから、この映画の制作者はそれを読んでいたのであろう。ドゥルーズ同様ことさらに言葉遊びにこだわっている。

この映画の中ではコックニー言葉が多用されている。たとえばイエスタダイといったものだ。言葉遊びをテーマにした映画だから、ロンドン方言も茶化してしまおうというわけか。言葉遊びとのかかわりで、女性器は花びらと呼ばれる。そんな言葉を臆面もなくしゃべらせるのは、アリスが少女ではなく成熟した女性の姿で現れているからだろう。





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