花鏡 世阿弥の能楽論

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世阿弥の能楽論「花鏡」は、応永三十一年世阿弥六十二歳の年に成立した。これより四年前に書いた「至花道」をさらに敷衍・展開したもので、世阿弥の中期の代表的な能楽論である。奥書に、前期の能楽論を代表する「風姿花伝」との比較が記されており、それによれば、「風姿花伝」は亡父観阿弥の教えを書き留めたものであるのに対して、この「花鏡」は、四十歳以降時々に心に浮かんだことがらを書き留めたものだとある。つまり「風姿花伝」は亡父から受け継いだ庭訓であるのに対して、これは自分自身の能楽論だというのである。

そんなわけで、この書に展開された能楽論は、「風姿花伝」のそれとは大きな違いがある。それを一言でいえば、物まねから幽玄への変化ということであろう。「風姿花伝」は、申学の伝統を踏まえて物まねを重視していたのに対して、こちらは、世阿弥の持ち味である幽玄を重視している。それに伴って、能楽の実践も、物まねを前提としたものから、幽玄を重視したものへと変化している。具体的には、従来九体に分けて語られていた芸風を、三体に集約したこと、観客第一の姿勢から、能役者の芸風の強調へと軸を移したことである。

題目六条及び事書十二条の計十八か条で構成されている。題目と事書との間にはさしたる区別はない。いずれも能楽の心得を説いたものであり、あえて言えば、事書のほうがより実際的な記述になっていることか。

題目六条から見ていく。まず、「一調二機三声 音曲開口所声」について。これは一に調子、二に機、三に声という意味である。調子は音の具合であり、機は下腹に力をこめる気合である。その音の具合を腹で受け止めて声を出すのが肝心だという。「調子をば機にこめて声を出すがゆゑに、一調二機三声とは定むるなり」というわけである。これは曲の謡いだしにとりわけかかわることで、その謡いだしがうまくいかないと、曲の進行がうまくいかない。

次に、「動十分心、動七分身」。これは心を十分に働かせて、身を七分に動かせという意味。心に思っているよりも、やや控えめに体を動かせということだ。「心よりは身を惜しみて立ち働けば、身は体になり、心は用になりて、面白き感あるべし」というのである。

次に、「強身動宥足踏、強足踏宥身動」。これは、強く身を動かさば宥く足を踏み、強く足を踏めば宥く身を動かす」という意味。身と足を同じように強く動かせば荒っぽくみえるので、多少のずれを入れたほうがよいということである。だが、足を踏み鳴らすのは、舞ではなくて、主に物まねについてのことである。

次に、「先聞後見」。これはまず声を出して後、それに伴う動作をせよという意味。いきなり泣く仕草をしても観客にはわからないので、まずは泣き声を出して後に泣く仕草をせよということである。

次に、「先能其物成、去能其態似」。これは、たとえば老人を演じる際には、老人のように腰をかがめ、足元を弱々しく、手も短めに引くなど、老人にふさわしい形を心掛けるべきだということである。「女ならば、腰を少し直ぐに、手をも高々とさしひき、五体をも弱々と、心に力を持たずして、しなしなと身を扱ふべし。さてその姿のうちより、舞をも音曲をも、たちふるまふことまでも、その態をすべし」。

次に、「舞声為根」。これは、舞は音声にかならず伴われておらねばならぬという意味。舞だけでは、つまり仕草だけだはだめだというのである。その声も、腹の底から出さねばならない。「五臓より声を出すが五体を動かす人体、これ舞となるはじめなり」というのである。舞には五智がある。手智、舞智、相曲智、手体智、舞体智である。三体の風姿のうち、男体は手体風智、女体は舞体風智がふさわしい。その場合、舞っている自分の姿が心の目に見えているのでなければならぬ。これを離見の見という。

以上が題目六か条である。





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