コミュニズムについてのマルクスのイメージ 落日贅言

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過日、大学時代の友人たち三人と新宿で台湾料理を食いながら久しぶりの談笑を楽しんだ際に、思い出話とともに色々話題があがった中で、コミュニズムについてマルクスはどのようなイメージを抱いていたかということが、熱心な討議を呼び起こした。討議といういささか大げさな言葉を使うのは、その議論がかなり熱を帯びていたことを表現したいからだ。論争とまではいかなかったが、それぞれの持っている見方が相互に微妙に違っているために、あっさり同感というわけにはまいらず、ちょっとした意見の齟齬をきたし、その齟齬が議論を熱くさせたのである。

小生は、マルクスにはコミュニズムについての具体的で明確なイメージはなかったと発言した。マルクスは資本主義の本質的な性格を分析し、それが歴史的な現象であって、したがって始まりをもち、かつ終わりがあると断言し、その先に来たるべき社会としてコミュニズムを想定したのだったが、しかしそれがどんなものになるのかについては、具体的なイメージを持たなかった。マルクスがコミュニズムについて抱いていたイメージは、せいぜい原始共産主義のイメージである。マルクスはユダヤ人の血を受け継いでいるから、ユダヤ人の抱いている原始共産主義のイメージを共有していたのではないか。ユダヤ人の抱いていた原始共産主義のイメージは、いまやキブツというかたちで一部実現している。キブツとは、財の共有を前提とした共同体をいう。そんなイメージをマルクスは抱いていたのではないか。

マルクスが、コミュニズムの特徴としてあげたのは、せいぜい女の共有くらいなものである。マルクスは、初期の文章「経済学哲学草稿」のなかで、原始共産主義の特徴を女の共有に見ていた。かれがなぜそんなものをコミュニズムの特徴の一つとしてあげたのか、その理由は、かれがユダヤ人の血を受け継いでいたからだろう。キブツは、共同体が全体として子供を育てるという理念に導かれているようだが、これは家族よりも共同体を重んじる思想であって、家族ではなく共同体が子供を共有するという考えだ。子供の共有というのは、原始共産主義における女の共有と親縁性のあるシステムである。女の共有というと聞こえが悪いが、要するに一対一の固定した男女関係ではなく、男女が自由に結びつくような関係と言ってよい。

そういった形の男女の自由な結びつきについては、僚友のエンゲルスも評価していた。エンゲルスは、モルガンの家族史に依拠しながら、人類の最初の家族関係は群婚の上に成り立っていた、と結論した。群婚というのは、複数の男が複数の女と婚姻関係をもつものだ。複数の女が複数の男と婚姻関係を結ぶとも言い換えられる。要するに、複数の男女が共同体を作り、その共同体が単位となって、無差別な性交からから生まれた子どもを共同で育てる。そうした群婚に基づく共同体としての家族が、原始共産制の中核をなしていた、とエンゲルスは考えていた。

マルクスは、エンゲルスほど踏み込んだ分析をしてはいないが、おそらく同じ考えをもっていたと思われる。もっとも、かれがいう子どもの共有は、原始共産制に特有な現象で、その点では、人類の家族関係の原型をなすものだが、しかし、それを以て人類の家族関係の理想とまでは考えていなかったと思う。来たるべきコミュニズムの社会には、何らかの形での共同体が生まれるが、それについては、今のところ具体的で明確なイメージは打ち出せない、とマルクスは考えていたのではないか。

そのように言ったところ、ほかの三人は、にわかには納得できないといった表情を呈した。Kなどは、マルクスがそんなことをいうわけがないといった表情を見せた。かれは積極的な反論はしなかったが、小生の立論には納得できないという反応を示したわけだ。Iは、マルクスはたしかに女の共有を以て原始共産主義の一特徴としたが、それはあくまでも過去の歴史的な事実をとりあげただけであって、将来の共産主義社会が、女の共有を採用すべきだとまではいっていない、と反論した。いまどき、女の共有などといった主張をするものは、きわめて反道徳的な暴論として、一笑に付されるであろう。そんな考えを、マルクスの名で披露するのは、マルクスの名を汚すことである。

Iは、熱心なマルクシストとしての立場からそういったのだと思う。だが、同じく熱心なオールド・マルクシストを自認する小生も、マルクスの名を辱めるようなことは考えていない。だが、それにしても、マルクスが資本主義を批判し、コミュニズム社会の到来を予言したにかかわらず、肝心なコミュニズム社会の具体的なイメージについては、明確な形で提示できなかったと言いたいのである。

ここで、マルクスのコミュニズム論の変遷について、あらためて確認しておきたい。マルクスがコミュニズム社会の到来の必然性を整然と訴えたのは、1848年にエンゲルスと共同で執筆した「共産党宣言」の中である。かれらがこのパンフレットを書いたのは、フランスで二月革命が勃発し、その熱気が大陸諸国に波及している時期であった。要するにヨーロッパ大陸全体が革命気分に浮かれていたのである。そういう状況を前にして、かれらは資本主義の打倒があるいは可能かもしれないと考えて、このパンフレットを書き、ヨーロッパじゅうの労働者に向けて、資本主義打倒のために立ち上がれと呼び掛けたのであった。情勢のひっ迫性に駆られての行動といってよかったわけだ。そんなわけで、当面の革命の可能性がかれらの頭をとらえており、革命の先にどんな社会が待っているかについてまでは、具体的なイメージをもっていなかった、というのが実際のところだったように思う。

マルクスはその後、経済学批判と銘打って、資本主義の本格的な分析に取り掛かり、その成果として「資本論」が出来上がった。これは彼の存命中には完成せず、第一巻だけが公刊されて、二巻以降は、かれの死後にエンゲルスによって編集・出版された。マルクス(及びエンゲルス)が、コミュニズムの具体的なイメージについて語るのは第三巻の中である。そこでかれが語っているのは、コミュニズムとは、人間性の完全な開放であり、解放されて自由になった諸個人が、互いに自由な立場から結びついて、友愛にもとづく結合が実現されるような社会である、というふうに主張した。だが、これは多分にスローガン的な言い分である。諸個人が友愛によって結びついた社会とはいうが、それがどのようなものか、具体的なイメージは湧いてこない。

だが、コミュズムの具体的なイメージを多少は感じさせる一節もある。そこでは次のように述べている。「自由はこの領域ではただ次のことにありうるだけである。すなわち、社会化された人間、結合された生産者たちが、盲目的な力によって支配されるように自分たちと自然との物質代謝によって支配されることをやめて、この物質代謝を合理的に規制し自分たちの協同的統制のもとに置くということ、つまり、力の最小の消費によって、自分たちの人間性に最もふさわしく最も適合した条件のもとでこの物質代謝を行なうということである。しかし、これはやはりまだ必然性の国である。この国のかなたで、自己目的と認められる人間の力の発展が、真の自由の国が、始まるのであるが、しかし、それはただかの必然性の国をその基礎としてその上にのみ花を開くことができるのである」(大槻書店版から引用)。

これは、生産の社会的統制を主張しているというふうに受け取られ、ソ連型社会主義を合理化するために利用された経緯はある。しかしここで述べられているのは、生産の社会的な統制ということであって、国家による一元的な統制ではない。しかもその社会的な統制は、共産主義が完全に実現するまでの過渡的な措置であって、共産主義社会が実現したあかつきには、国家はその役割を終え、諸個人は自分で自分の自由を行使する。外側から統制されることはなくなる。そういっていると読める。

「資本論」は、以上のプロセスを「必然の国から自由の国へ」というスローガンで表現している。そのスローガンを補強するような議論が、「ゴータ綱領批判」のなかでも展開される。「ゴータ綱領批判」は、国家の役割に期待するラサール派の立場を痛烈に批判したもので、コミュニズムの実現は国家の死滅を伴うこと、また、そこにおいては自由な諸個人の共同体が社会を動かすと主張されているのであるが、しかしマルクスはここでも、コミュニズムの具体的なイメージを提示したとはいえない。

こんな具合で、コミュニズムについてのマルクスのイメージは、具体的で明確なものだったとはいえない。そこが、マルクスのコミュニズム論の限界だったといえよう。新しい社会のヴィジョンを示すためには、現存の社会の批判にとどまっていては説得力に欠ける。やはり、新しい社会の魅力的なイメージを積極的に提示しなければ、支持はなかなか広がらないであろう。






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