能「忠度」 千載集と一の谷の合戦

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能「忠度」は、一の谷で戦死した平家の武将忠度の和歌へのこだわりと、壮絶な戦死をテーマにした作品。申楽談義には、「通盛、忠度、義経三番、修羅がかりにはよき能なり。このうち忠度上花か」とあるので、世阿弥にとって自信作だったのだろう。またの名を「薩摩守」ともいう。そこから「ただ乗り」を薩摩守というダジャレが生まれた。

複式夢幻能であり、前半は藤原俊成の家人だった僧が須磨の浦の海士から忠度にゆかりのある桜の木のいわれを聞くこと、後半はその忠度の幽霊が僧の夢の中に現れ、千載集に自分の歌が納められたはいいが読み人知らずの扱いになっているのは悔しいと言い、さらに、岡部の六弥太と戦って壮絶な死をとげたことを語りきかす、といった構成である。

ここでは先日NHKが放送した舞台を鑑賞したい。シテは喜多流の香川靖嗣、ワキは人間国宝宝生欣哉である。舞台にはまず、ワキとワキツレ二名の計三名が登場する。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキは、藤原俊成の歌人であったがいまは僧の身となり、ツレとともに西国行脚の途上だと自己紹介する。かれらは須磨の浦にきているのである。

ワキ、ワキツレ二人次第「花をも憂しと捨つる身の。花をも憂しと捨つる身の。月にも雲は厭はじ。
ワキ詞「これは俊成の御内に在りし者にて候。扨も俊成なくなり給ひて後。かやうの姿となりて候。又西国を見ずに候ふ程に。此度思ひ立ち西国行脚と志し候。城南の離宮に赴き都をへだつる山崎や。関戸の宿は名のみして。泊りも果てぬ旅の習。憂き身はいつも交の。塵の浮世の芥川。猪名の小篠を分け過ぎて。
下歌三人「月も宿かる昆陽の池水底清く澄みなして。
上歌「芦の葉分の風の音。芦の葉分の風の音。聞かじとするに憂き事の。捨つる身までも。有馬山隠れかねたる世の中の。憂きに心はあだ夢の。覚むる枕に鐘ほとき。難波は跡に鳴尾潟沖浪遠き。小舟かな沖浪遠き小舟かな。

そこにシテの老人が現われる。いでたちは「融」の前シテの老人と同じである。長い髷が特徴だ。老人は一本の桜の木をゆびさし、それがさる人ゆかりの木であることを説明する。

シテサシ一声「実に世を渡る習とて。かく憂き業にもこりずまの。汲まぬ時だに塩木を運べば。乾せども隙は馴衣の。浦山かけて須磨の海。
一セイ「海人の呼声ひまなきに。しばなく千鳥音ぞ遠き。
サシ「抑この須磨の浦と申すは。淋しき故に其名を得る。わくらはに問ふ人あらば須磨の浦に。もしほたれつゝわぶと答へよ。実にや漁の海人小舟。藻塩の煙松の風。いづれか淋しからずと云ふ事なき。
詞「又此須磨の山陰に一木の桜の候。これはある人の亡き跡のしるしの木なり。殊更時しも春の花。手向の為に逆縁ながら。足引の山より帰る折ごとに。薪に花を折りそへて。手向をなして帰らん手向けをなして帰らん。

僧が老人と対話をする。老人は海人であるが、塩を焼くために山に入り薪をとっているのだと話す。

ワキ詞「いかにこれなる老人。おことは此山賎にてましますか。
シテ詞「さん候此浦の海人にて候。
ワキ「海人ならば浦にこそ住むべきに。山ある方に通はんをば。山人とこそいふべけれ。
シテ詞「そも蜑人の汲む汐をば。焼かで其まゝ置き候ふべきか。
ワキ「実に/\これは理なり。藻塩たくなる夕煙。
シテ「絶間を遅しと塩木とる。
ワキ「道こそかはれ里ばなれの。
シテ「人音稀に須磨の浦。
ワキ「近き後の山里に。
シテ「柴といふ物の候へば。
地「柴といふ物の候へば。塩木の為に通ひ来る。
シテ「余りに愚なる。御僧御諚かなやな。
地「実にや須磨の浦余の所にやかはるらん。それ花につらきは嶺の嵐や山おろしの。音をこそ厭ひしに。須磨の若木の桜は海少しだにも隔てねば。通ふ浦風に山の桜も散る物を。

僧は老人に一夜の宿を願うが、老人は花の下影を宿にせよとすすめる。「行き暮れて木の下蔭を宿とせば。花や今宵の主ならまし」という忠度の歌を念頭においているのである。

ワキ詞「如何に尉殿。早日の暮れて候へば一夜の宿を御かし候へ。
シテ詞「うたてなや此花の蔭ほどの御宿の候ふべきか。
ワキ「実に/\これは花の宿なれどもさりながら。誰を主と定むべき。
シテ「行き暮れて木の下蔭を宿とせば。花や今宵の主ならましと。詠めし人は此苔の下。痛はしや我等が様なる海人だにも。常は立ち寄り弔ひ申すに。御僧達はなど逆縁ながら。弔ひ給はぬ。愚にまします人々かな。
ワキ詞「行き暮れて木の下蔭を宿とせば。花や今宵の主ならましと。詠めし人は薩摩の守。

老人は、この歌を詠んだ忠度が一の谷の合戦でうたれたことにふれ、俊成ゆかりの僧に弔ってもらえばうれしいと述べる。

シテ詞「忠度と申しゝ人は。此一の谷の合戦に討たれぬ。ゆかりの人の植ゑ置きたる。しるしの木にて候ふなり。
ワキ「こはそも不思議の値遇の縁。さしもさばかり俊成の。
シテ「和歌の友とて浅からぬ。
ワキ「宿は今宵の。
シテ「主は人。
地「名も忠度の声聞きて。花の台に座し給へ。
シテ「有難や今よりは。かく弔の声聞きて仏果を得んぞ嬉しき。
地「不思議や今の老人の。手向の声を身に受けて。喜ぶ気色見えたるは何の故にてあるやらん。
シテ「御僧に弔はれ申さんとて。これまで来れりと。
地「夕の花の蔭に寐て。夢の告をも待ち給へ。都へ言づて申さんとて花の蔭に宿木の行くかた知らずなりにけり行く方知らずなりにけり。

ここで中入となり、間狂言が忠度にまつわることを話す。忠度が文武双方に優れ、その歌は千載集にも乗ったが、朝敵となったことで読み人知らずの扱いとなったことなどである。狂言がおわると、ワキとワキツレが待ち謡を謡う。

ワキ詞「先々都に帰りつゝ。定家に此事申さんと。
三人待謠「夕月早くかげろふの。夕月早くかげろふの。おのが友よぶ村千鳥の。跡見えぬ磯山の夜の花に旅寝して。浦風までも心して。春に聞けばや音すごき。須磨の関屋の。旅寐かな須磨の関屋の旅寐かな。

そこへ甲冑に身を包んだ忠度の幽霊が現われる。千載集にのった歌が読み人知らずになったこと、俊成に直談判して名を明示してもらった喜びを語ったあと、いよいよ一の谷での戦いぶりを語る。

後シテ一声「恥かしや亡き跡に。姿を帰す夢のうち。覚むる心は古に。迷ふ雨夜の物語。申さんために魂魄にうつりかわりて来りたり。さなぎだに妄執多き娑婆なるに。何中々の千載集の。歌の品には入りたれども。勅勘の身の悲しさは。よみ人知らずと書かれし事。妄執の中の第一なり。されども。それを撰じ給ひし。俊成さへ空しくなり給へば。御身は御内にありし人なれば。今の定家君に申し。然るべくは作者をつけてたび給へと。夢物語申すに。須磨の浦風も心せよ。
地クリ「実にや和歌の家に生れ。その道を嗜み。敷島のかげに依つし事人倫に於て専らなり。
ワキサシ「中にも此忠度は。文武二道を受け給いて世上に眼高し。
地「そも/\後白河の院の御宇に。千載集を撰はる。五条の三位俊成の卿。承つてこれを撰ず。
下歌「年は寿永の秋の頃。都を出でし時なれば。
上歌「さも忙しかりし身の。さも忙しかりし身の。心の花か蘭菊の。狐川より引き返し。俊成の家に行き歌の望を嘆きしに。望足りぬれば。又弓箭にたづさはりて。西海の波の上。暫しと頼む須磨の浦。源氏の住み所。平家の為はよしなしと知らざりけるぞはかなき。

岡部の六弥太との戦いぶりが、まず忠度の視点から語られる。

地「さる程に一の谷の合戦。今はかうよと見えし程に。皆々舟に取り乗って海上に浮ぶ。
シテ詞「我も船に乗らんとて。汀の方に打ち出でしに。後を見れば。武蔵の国の住人に。岡部の六弥太忠澄と名のって。六七騎にて追つかけたり。これこそ望む所よと思ひ。駒の手綱を引つかへせば。六弥太やがてむづと組み。両馬が間にどうど落ち。彼の六弥太を取つておさへ。既に刀に手をかけしに。
地「六弥太が郎等御後より立ちまはり。上にまします忠度の。右の腕を打ち落せば。左の御手にて六弥太を取つて投げのけ今は叶はじと思し召して。そこのき給へ人々よ。西拝まんと宣ひて。光明偏照十方世界念仏衆生摂取不捨と宣ひし。御声の下よりも。痛はしやあへなくも。六弥太太刀を抜き持ち。つひに御首を打ち落す。

忠度が死んだあとは、こんどは六弥太の視点から語られる。能の自在たるところである。

シテ「六弥太。心に思ふやう。
地「痛はしや彼の人の。御死骸を見奉れば。其年もまだしき。長月頃の薄曇。降りみ降らずみ定なき。時雨ぞ通ふ村紅葉の。錦の直垂はたゞ世の常によもあらじ。いかさまこれは公逹の。御中にこそあるらめと。御名ゆかしき所に。箙を見れば不思議やな。短冊を附けられたり。見れば旅宿の題をすゑ。行き暮れて。木の下蔭を宿とせば。

ここで幽霊のかけりがあり、ついでキリへと突き進んで行く。

シテ「花や今宵の。主ならまし。忠度と書かれたり。
地「さては疑あらしの音に聞えし薩摩の守にてましますぞ痛はしき。
キリ地「御身此花の。蔭に立ち寄り給ひしを。かく物語り申さんとて日を暮らしとどめしなり。今は疑よもあらじ。花は根に帰るなり。我が跡とひてたび給へ。木陰を旅の宿とせば。花こそ主なりけれ。






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