大坂なおみ選手へのオマージュ

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先日、ドイツやロシアへ一緒に旅行した仲間と、神田小川町のイタリアレストランで会った。例の如く、大声を張り上げながら、老人らしい話題に花を咲かせるうちに、大坂なおみ選手の話になった。いまアメリカで起きている深刻な人種差別問題に、彼女が声を上げ、脅迫の恐怖を覚えながらも、人種差別への反対を表明し続けたのはすばらしい。日本では、スポーツ選手や芸能人が、政治的なイシューをめぐり発言することはタブー視されており、アメリカでさえも、一定のリスクを伴うと言われているが、そういう風潮のなかで、毅然として自分の意見を表明したのは、誰にもできることではない。

大坂選手は、自分自身が厳しい差別にさらされた体験があるというので、今回の彼女の姿勢には、差別される立場にある者を代表するようなところがある。差別する側は、自分のしていることの意味をなかなか考えようとしないので、差別による深刻な問題を解決するためには、やはり差別される弱い者が声を上げなければ、何事も前へ進まない。そういう意味で、大坂選手のこのたびの行為は、せっぱつまったような迫力を感じさせた。そうした彼女の姿勢には、アメリカのメディアはおおむね好意的なようで、NYTなどは、「社会正義を結集しながらタイトルを獲得」という見出しで、彼女をたたえる記事を載せていた。

その彼女に、小生も大きな感銘をうけた一人だ。そこでほかの連中に、彼女へのオマージュを書こうとも思った、と語ったところ、是非書いてお前のブログで披露しろよと激励されたので、ここにこうして彼女へのオマージュを書いた次第だ。

テニスの話題が出たついでに、小生は昔体育館つとめをしていた際に、女子テニスの国際大会を随分と見たが、女子テニスの魅力は、なんといってもラケットを強振するときにプレーヤーが発する声にあると言った。例のよがり声を想起させるので、どんな男も悩殺されてしまう。だから、好んで女子テニスを見る男は、だいたいスケベだと思ってよい、と言ったところが、お前こそそのスケベの代表に見えるよと切り返された。大坂選手へのオマージュのつもりが、とんだ脱線をしました。

イタリアレストランでは、妙齢の女史にいろいろ面倒を見てもらったが、彼女にどう呼びかけたのがよいか、ママ?、それとも女将?、あるいはお姉さん?、と皆で聞いたところ、ちょっと年は取りすぎましたが、お姉さんでお願いします、ママは風俗店のようだし、女将はやはり日本風でしょう、お姉さんよりいい言葉は見当たりませんと言う。そこで我々一同、彼女をお姉さんと呼んだ次第だった。

コロナ騒ぎで経営は大変なようだ。今宵も我々のほかに客の姿はない。うちはサラリーマン客が多いのですが、この辺の大企業には、コロナ騒ぎをおもんばかって、社員に対して退社後の飲食を禁止しているところが多いんです。そんなわけで、客足がすっかり遠のいてしまいました。毎日こんな調子では、この先続けられるかどうかわからない。家賃を支払うだけでも大変な苦労です。そう言うので、コロナ騒ぎが早く収まってくれるように、改めて強く思ったところだ。

この店を出た後は、神田川沿いの川を見下ろす店に行くつもりだったが、浦子が是非自分の知っている店に案内したいというので、かれの後を(あちこち道に迷いながら)ついて行った次第。その店のマスターは、四十台半ばの粋な雰囲気の中年男だったが、浦子はこの男を小僧の時から知っているのだという。会津の桧枝岐出身だというので、小生は桧枝岐に旅した時のことを語り、すっかり意気投合した次第だった。

そのマスターが、つまみを一人分ずつ皿に分けて出すので、随分手間をかけているねと言ったら、知事をやってられるお婆さんの命令なんですという。守らないといろいろ嫌がらせを受けるそうだ。お婆さんの言うことを聞かない奴は、お婆さんにかわって、いわゆる自粛警察が取り締まるのだそうだ。





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