クリント・イーストウッド「グラン・トリノ」:意味のある死

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クリント・イーストウッドの2008年の映画「グラン・トリノ(Gran Torino)」は、いわゆるラスト・ベルト地帯を舞台にして、頑固な老人と新来の東洋人家族との触れ合いを描いた作品。イーストウッド演じる頑固な老人が、隣人の子供らが苦境に苦しんでいることに同情し、命をかけて守ろうとするところを描く。その老人はたびたび吐血に見舞われ、死を覚悟していた。どうせ死ぬなら意味のある死を死にたい。そんな切実さが伝わってくる映画である。

老人はかつてはフォードの工場で働いていた。フォードが落ち目になり、日本の自動車メーカーが進出してくる一方、街はさびれ、白人が去った後に外国移民が住み着くようになった。老人の隣家にも、モン族の家族が移り住んできた。モン俗とはベトナムの少数民族で、ベトナム戦争時米軍に協力したために、戦後ベトナムを逃れてアメリカにやってきた。その中の一家族が、ミシガン州のラスト・ベルト地帯に流れてきたというわけである。

老人は当初、この隣人らに嫌悪感を示していたが、そのうち心を許すようになる。それには、黒人のごろつきどもにからまれる隣人の娘を助けたり、モン族のごろつきにつきまとわれる少年の面倒を見たりといったこともからんでいた。老人はなぜか、タオというその少年が気にかかり、なにかにつけて面倒をみる。仕事を紹介してやったり、大事な工具を貸してやったりだ。かれは、妻を失ったばかりで、寂しい気持ちを抱えていたこともある。また、若い頃に従軍した朝鮮戦争の忌まわしい記憶にさいなまれていたこともある。そんな事情も働いて、弱いものを守ってやろうという気になったと思わせるように作られている。

タオとその姉がモン族のごろつきどもにひどい目にあわされるのを見た老人は、或る決意をする。それは、ごろつきどもを殺してしまうのではなく、自分が彼らによって殺され、かれらを殺人犯としてとらえさせようというものだった。老人がそんな気持ちになったのは、自分の余命が幾ばくも無いことを知っているからであり、どうせ死ぬものなら、その命を意味のあることに使いたい、と思ったからだというふうに伝わってくる。

この映画のミソは、モン族同士のトラブルに白人の老人が巻き込まれることだ。また、少女がいじめられるのは黒人のごろつきによってである。白人は迫害するものとしては描かれていない。かといって、人種的偏見が働いているとも思えない。その証拠に、白人の老人は、黄色人種のモン族の人々と、心を開いて接するのである。

なお、「グラン・トリノ」とは、フォードの人気車種。映画では、72年型のグラン・トリノが出てくる。その車を老人は、タオに遺贈するのである。






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