地獄としてのロシア:ゴーゴリ「死せる魂」を読む

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ダンテの「神曲」にならって構想した「死せる魂」の第一部は、いわば「地獄編」に相当するものだ。ダンテの「地獄編」は、ヴィリギリウスに案内されながら地獄を遍歴するダンテを描いていた。ダンテの描くところの地獄は、キリスト教の地獄である。それに対してゴーゴリの描く地獄は、同時代のロシアである。ゴーゴリは彼の生きていた同時代のロシアを地獄に見たてたというわけだ。ダンテはヴィリギリウスに案内されて地獄を経めぐったのであったが、ゴーゴリの「地獄編」の主人公チチコフは、ほかならぬ語り手の作者に案内されながらロシアの町を経めぐるのである。

ダンテは地獄を経めぐりながら大勢の亡者と出会ったのであった。亡者の中には歴史上の人物もいれば、生前親しく接していた旧知の人もいる。みな地獄に落ちるべき相応の事情を抱えていた。その事情を明かしながら、地獄で苦悩する人々の罪深い境遇を描くことに、「地獄編」は捧げられている。一方ゴーゴリの主人公チチコフは、見知らぬ町に乗り込んできて、その町の有力者と仲良くなり、かれらの威光を利用しながら自分のビジネスにはげむ。かれのビジネスとは死んだ農奴の売買である。その死んだ農奴を、地主たちから買い上げようというのであるが、死んだ農奴に価値があるわけではないから、話を持ちかけられた地主たちはみな半信半疑である。だが、無益な死人が金になると知って、どうせ売るなら高く売りつけたいと思う。そこで地主たちとチチコフとの間で奇妙な駆け引きが行われる。その駆け引きは、悪魔もあきれるほどの破廉恥なもので、そんな悪魔同様の者らが住んでいることろは地獄以外にはないと思えるほどだ。つまり、チチコフのビジネスにまつわる話は、ダンテもあっというような、地獄沙汰なのである。

地獄に見立てられたロシアのある町で主人公のチチコフが出会う人物には二種類ある。ひとつは、知事や裁判所長、警察部長や郵便局長といった町の有力者。もうひとつは、死んだ農奴を「所有する」地主たちである。町の有力者たちは、新参者のチチコフをすっかり気に入ってしまい、手厚く歓待するのであるが、その理由ははっきりしない。ただのお人好しなのか、それともなにか打算が働いているのか。ただ、チチコフが上品な身だしなみと振る舞いぶりとで、かれらの信用を勝ち取ったということにはなっている。また、話の進行につれて、町の有力者たちが中央政府による査察を恐れていることがわかってくる。かれらはチチコフをその査察官と結び付けているようなのだ(そのあたりは「検察官」を想起させる)。

チチコフの行動がより大きな意味を持つのは、地主たちとの駆け引きである。地主たちにはいろいろなタイプの人物がいる。その人物たちがそれぞれロシア人気質の典型を体現しているというふうに書かれている。だからその人物像を詳しく見れば、ロシアという国がどのような人間から構成されているか、その概略がわかるようになっている。そのロシアは、地獄として設定されているわけだから、地主たちはその地獄にうごめいている悪鬼ということになろう。以下、その悪鬼たちのプロフィールと、かれらとチチコフの駆け引きについて見ていくことにしよう。

チチコフが最初に会いに行ったのはマニーロフという男だった。この男とは町で有力者と一緒にいるところで会ったことがある。地主たちのなかではもっとも特徴のない男で、「町の名士でもなければ、村のどん百姓でもない、どっちともつかぬ並の男」と言われている。頭も働らかぬらしく、チチコフの申し出にあっさりと応じる。かれにとっては、チチコフに死んだ農奴を引き取ってもらえれば、その分人頭税が浮くので、願ったりかなったりなのだ。それで、登記の費用も自分持ちということにして、死んだ農奴をただで引き渡すのである。

ついでコローボチカという老婆の地主に会う。これは道に迷って偶然彼女の家に迷い込んだという設定なのだが、小心者で臆病なくせに、欲は一人前にもっている。彼女もまた死んだ農奴を売ることに同意するが、その条件として、自分の領地でとれた農作物を買い上げてくれるという条件をつける。抜け目がないのだ。無論チチコフにはそんなつもりはない。そこで彼女はのちに、町へ出てきて有力者たちをつかまえては、チチコフが自分との約束を履行するよう圧力をかけてくれと頼みまわるのだ。

その次はノズドリョーフ。これは悪党であって、チチコフをさんざんてこずらせる。農奴を売ってやるから、その抱き合わせに、いい馬を4千ルーブリで買えなどというのだ。また、骨牌をしようといって、無理やりチチコフを相手にしたて、平気でいかさまをする。それをチチコフがとがめると、手下に命じてチチコフを懲らしめにかかる。チチコフは最悪の事態を予感して恐れ入るのであるが、間一髪で郡の警察署長に助けられる。所長が別件でノズドリョーフを追求しに来たのだった。ノズドリョーフは後に町でチチコフと出会うのだが、その際には何事もなかったかのように、チチコフに馴れ馴れしい態度をとるのである。この男こそもっともロシア人らしい人物像として、生き生きと描かれている。

ノズドリョーフの次はソバケーヴィッチ。この男は皮肉屋で、誰についても悪口しかいわない。だが欲の皮は突っ張っていて、死んだ農奴を一人当たり百ルーブリで売ってやろうと言い出す。チチコフが口をぽかんとあけ、相手の目をじっと見つめたまま、大きな声を出すと、ソバケーヴィッチは、「わしは草鞋をうるわけじゃないんだからね」といって、取り合わない。結局二人の取引は、死んだ農奴ひとりにつき3ルーブリで成立した。

チチコフが最後に出会った地主はブリューシキンといった。この男は乞食のような姿をしているが、れっきとした大地主であって、ただひどい吝嗇のために、余計なことには金を使わない。農奴からは容赦なく貢納させるのだが、かれはその品々を倉庫に積んでおくだけで、いっさい活用しようとはしないのだ。ただ苔がはえるに任せているのである。それでも欲の皮は突っ張っていて、死んだ農奴が売れることを喜ぶ。あまつさえ、逃げた農奴まで売ろうというのだ。チチコフは、死んだ農奴ばかりか、おまけに逃げ出したやつまで手に入って、全部で二百人以上にもなり、ご満悦なのである。

こんな調子で、チチコフと地主たちとの、死んだ農奴の売買にかかわる駆け引きが、小説の前半を彩るのである。それを読んでいると、農奴制時代のロシアが、いかに地獄そのままのひどいところだったか、よく納得できるのである。






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