ヒトはサルより上等か

| コメント(0)
放送法文書問題で高市大臣を攻撃したことで名をあげた立憲民主党の小西議員が、今度は衆議院憲法審査会のメンバーを「サル」呼ばわりしたことで、大きな騒ぎを引き起こしている。中には所属する立憲民主党に対して厳正な処分を要求する政党もあるが、それは自分の無力を棚にあげた行為に見える。それはともかく、サルと呼ばれて激高するのは、自分はヒトであってサルではなく、ヒトはサルよい上等なのだから、その上等なヒトである自分が、下等なサルと一緒くたにされるのは我慢がならないということらしい。

たしかにヒトはサルとは違う生き物であり、その間には厳然たる差異がある。したがって両者を一緒くたにするのは、少なくともヒトとサルとの差異をわきまえない言動だといえる。しかし、ヒトとサルの間に差異があるからといって、その差異は生き物としての相対的な差異であって、絶対的な優劣の関係ではないだろう。ヒトにはヒトの生き方があり、サルにはサルの生き方がある。生き物としては、ヒトとサルとの間に、価値の上下があるわけではない。だから、ヒトはヒトらしく振舞っていればよいのであって、サルと呼ばれて激高するのは大人げない反応というべきである。

ところが、某政党の党首などは、サルと呼ばれて激高し、自分はサルではないのだから、サルと呼んだことについて謝罪しろと、鼻息があらい。その表情を新聞などで見ていると、サルの諸君も気を悪くするのではないか。サルの諸君にしていれば、サルらしく生きることに疚しさを感じるいわれはない。なのにこの党首は、サルであることが不名誉なことのように言い募っている。

もっとも政党の党首の中には、良識をわきまえた人物もいるようで、その人物は、こんな騒ぎになってサルに顔向けができないと反省している。この党首は、衆議院憲法審査会の議論を、やみくもに戦前の体制への復古をもくろむ姑息なやり方だと批判したうえで、「本当にサルに申しわけない」と言っている

たしかに、サルをダシにして政争に明け暮れるのでは、おサルさんに失礼だろう。そんなわけで、小生が想起するのは成島柳北先生の言葉だ。柳北先生は、欧米視察に向かう途中、東南アジアの土人が先生にサルを売らんとするさまを見て、「笑殺す、サルを売る人サルに似たるを」と言ったのだった。





コメントする

アーカイブ