バーリンとドイチャー、論敵と友人

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岩波書店の読書誌「図書」の最新号(2023年4月号)に「バーリンとドイチャー、論敵と友人」と題する一文(近藤和彦作)が載っているのを、なつかしい気持ちで読んだ。これは、マルクス主義の歴史家アイザック・ドイチャーとマルクスを「ただのユダヤのイカサマ師」と罵ったアイザイア・バーリンを取り上げ、それに論者が孤高の学者と呼ぶEH・カーを絡ませている。この三人は、小生も若い頃によく読んだものだし、とりわけドイチャーには敬服していたので、そのドイチャーにオマージュを捧げたようなこの小文は、小生にとっては、懐かしい気分にさせられるものだ。

バーリンもドイチャーもバルト海地域出身のユダヤ人だが、ドイチャーが死ぬまでマルクス主義者として生きたのに対して、バーリンのほうはイギリスに帰化し、運よくオックスフォードの教授になり、また裕福なイギリス人女性と結婚して、過不足ない生活をおくることができた。性格的には陰険な所があったらしく、ドイチャーがオックスフォードのフェロー候補に挙げられた時には、「同一の学問コミュニティにいてほしくない唯一の男です」といって反対した。そのおかげで、ドイチャーはオックスフォードに職を得ることができなかった。

ドイチャーが、マルクス主義者として革命のために生涯をかけたのに対して、バーリンのほうは、成功したユダヤ人として、自分の境遇に満足し、その境遇を保障してくれたイギリスのリベラリズムに感謝していたようである。彼の唯一のまとまった著作として知られる「自由論」は、小生も読んだことがあるが、実に世俗的な自由礼賛であり、ほとんど読むに堪えない代物である。それに対してドイチャーの著作には、読者を引き込む魅力があった。その魅力を、EH・カーも見抜いていて、カーはドイチャーの中に「バクーニンのような、色彩ゆかたな浪漫的亡命者」を見て取っていたと論者はいっている。

なお論者は、バーリンの小著「ハリネズミとキツネ」に言及している。その中でバーリンは「キツネは多くのことを知っているが、ハリネズミは一つの大きなことを知っている」といって、キツネよりハリネズミを高く評価しているのであるが、論者の見立てによれば、バーリンはキツネであり、EH・カーがハリネズミだそうだ。

なつかしい思いをした勢いで、ドイチャーの本を何冊か読み直してみたい気持ちになった。




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