広末涼子へのバッシングに感じたこと:日本社会の田吾作部落体質

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広末涼子の不倫騒ぎについては、小生はこれを男女のプライベートな問題だと受け止め、あえてコメントする気はなかった。だが、週刊誌をはじめとしたこの問題の報道ぶりは、常軌を逸した過熱ぶりで、広末の人権を無視した野蛮な攻撃にまで発展しているので、座視するわけにもいかなくなった。広末涼子に対する一部日本人によるバッシングは、日本社会の病理のようなものをあぶりだしている。その病理を小生は日本社会の田吾作部落体質と呼んでいる。

田吾作部落体質というのは、閉じられた社会空間で、田吾作親爺が支配権を持ち、成員全体をまるめこむというもので、個人の人権は一切尊重されない。とりわけ女性の人権はなきに等しい扱いを受けている。女性は男性中心の秩序に盲従するのが当然で、その秩序を犯すような行動をとった女性には徹底的な罰が加えられる。秩序違反のなかでも最も罪が重いと考えられているのは、女性の婚外性交、いわゆる不倫だ。女性の婚外性交には、色々な動機があると思われるが、その動機の如何にかかわらず、不倫の当事者のうち女性が一方的に掣肘される。今回の広末涼子の不倫にたいする日本社会の田吾作部落的な掣肘、あるいは村八分は、その典型といってよい。

とにかく女が悪いという先入見が先に立って、広末を攻撃するものには正義のラベルが張られ、なにを言っても、たとえ彼女の人格を毀損するようなことを言っても許される、というふうに勘違いする日本人が多い。週刊誌がそうした風潮を煽り立てている。今回も、一部週刊誌のえげつない報道が、このバッシングの発端となったもので、その報道に煽られる形で、田吾作部落としての日本社会全体がへんな盛り上がりを見せた。

とくに奇怪だったのは、広末の夫という男が、妻である広末に対して、それこそあることないことないまぜにするような形で、妻のプライバシーをあばきたて、彼女の人格を毀損してはばからないという事態である。当人は、妻への愛がそうさせたと言っているようだが、本当に妻を愛しているのなら、失われつつある妻の愛をとりもどすにはどうしたらいいか、真剣に考えるべきだったろう。自分を被害者のように見せかけて、世間の同情を惹くというやりかたは、見苦しいだけで、事態の改善にはつながらないのではないか。

ともあれ、今回の広末涼子へのバッシングは、日本社会の底に沈殿しつづけている滓のようなものの存在に気づかせてくれた。実に不名誉なことである。





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