生成するベルグソン像:メルロ=ポンティ「シーニュ」から

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「シーニュ」所収の「生成するベルグソン像」は、1959年の「フランス哲学会」におけるベルグソン追悼会での講演記録である。この講演の中でメルロ=ポンティは、ベルグソンの画期的な業績をほめたたえているのだが、かれはもともとベルグソンをそんなに高く評価していたわけではない。むしろ批判的であった。

メルロ=ポンティのベルグソン批判はまず「行動の構造」の中で展開されている。その中でメルロ=ポンティは、ベルグソン哲学の二大要素として「意識の直接与件」と「創造的進化」をあげ、そのどちらをも批判している。「意識の直接与件」については、その観想的な性格を批判し、意識とはそんな受動的で静的なものではなく、行動を前提としたダイナミックなものだとする。意識とは単に見ることではなく、行動することを原理としたものなのである。一方、「創造的進化」については、それを一種の生気論だといって批判する。生気論とは、世界の生成をある種の精神的な原理によって説明するものであるが、メルロ=ポンティによれば、世界とは目的論の一種である生気論によって説明できるものではない、世界には目的もなければ、したがって進化もない。世界とは偶然そこに存在するだけのものなのだ。

このようにメルロ=ポンティは、ベルグソンの思想を自分のそれとは相いれないものとして捉えていたわけだが、この講演の中では、そういういきさつを棚上げして、ベルグソンの業績をたたえている。そういう態度の変化には、メルロ=ポンティも引け目を感じたのか、講演の冒頭で言い訳らしいことを言っている。フランスの哲学会もまた、時間の経緯の中でベルグソン評価を変えたというのだ。1913年には、ベルグソンはフランス哲学会全体を敵に回していたが、いまではフランス哲学界の全体がベルグソンの業績をたたえている。だから、自分が批判者から崇拝者へと変わったことは、別に不思議なことではないのだ、というのである。もっともフランス哲学会がかつて拒絶したのは、ベルグソンその人ではなく、「ベルグソニズム」だったとは言っている。そう言うことで、ベルグソンその人と、そのエピゴーネンを区別しようとするところは、かつてマルクス本人と「マルクス主義」を区別したことのひそみに倣ったのかもしれない。もっとも、メルロ=ポンティ本人は、「行動の構造」の中で批判したベルグソンと、この講演の中でたたえているベルグソンとを連続した存在としてとらえているのではあるが。

ではメルロ=ポンティは、ベルグソンのどんなところを高く評価するようになったのか。それを正当に読み解くためには、かれの初期のベルグソン批判の要点がどのように変化したかを確かめねばならない。

まず、ベルグソンの「意識の与件=純粋直感=知覚の内容」の持つ観想的な性格への批判がどのように変わったかという点について。メルロ=ポンティがベルグソンの知覚理論の観想的な性格を批判したとき、かれはそれをカント的な意味での知覚として捉えていた。つまり時間を考慮に入れない、空間的なものとして直感を定義したうえで、それがあまりにも観想的で、人間の知覚が本来持っている行動的な性格への配慮が欠けていると批判したのであった。それに対して、新たなベルグソン理解では、人間の意識がもつ時間的な側面に注目している。ベルグソンは「物質と記憶」の中では、時間にはあまり配慮せず、その結果メルロ=ポンティがいうような観想的な見方に偏ったといえるのであるが、「時間と自由」においては、意識が純粋持続であり、人間の存在の本質は時間だというふうに明言するようになった。つまり、ベルグソン自身に、時間のとらえ方についての変化があったわけである。それにもかかわらずメルロ=ポンティは、「物質と記憶」を材料としてベルグソン批判を展開したために、そこにはベルグソン哲学における時間の要素への考慮が欠けていた。そのために自分のベルグソン批判は、片手落ちなものになった、という反省がメルロ=ポンティの中にあったのだと思われる。

ベルグソンの時間論を、メルロ=ポンティは次のように解釈して、高く評価している。ベルグソンのいう意味での時間とは、「私自身であり、私とは私の把握する持続であり、持続が私の中で持続自身を把握していることになります・・・持続は単に変化・生成・動きといったものであるだけではなく、生きて活動しているという意味での存在です。時間は、存在の代わりをさせられているのではなく、生まれつつある存在と解されているのであり、したがって今や存在の全体が時間の側から近づかれなければならないわけです}(滝浦静雄訳)。こういうことでメルロ=ポンティは、自分自身の「行動の構造」を、ベルグソンの時間概念に統合することができると考えたのであろう。だからベルグソンは今や、メルロ=ポンティにとって批判すべき対象ではなく、自分自身の哲学を基礎づけてくれる同盟者となったわけである。

そんなベルグソンの哲学史上の意義について、メルロ=ポンティは次のようにも言っている。「これほどに知覚世界の生まな存在が記述されたことも、それまでになかったことです。ベルグソンは、生まれつつある持続について、そうした存在を露呈することによって、人間の心臓部に、世界の前ソクラテス的で『前人間的』な意味を見つけだすのです」。世界を生のままに把握するというのは、現象学がそもそも目指していたことである。それを現象学を標榜しないベルグソンがかえって深く理解していた、とメルロ=ポンティは受け止め、かれを改めて高く評価する気になったのだと思う。

「創造的進化」のもつ生気論的な性格については、メルロ=ポンティは、そうした生気論の根底にある精神主義的な原理を、神として捉えなおしたうえで、その神が、実は自然そのものにほかならず、したがってベルグソンの「創造的進化」の議論は、観念論的なものではなく、かえって無神論的で唯物論的なものだと考えるのである。メルロ=ポンティは、自分を唯物論者とは思っていなかったが、十分に無神論的だとは思っていた。その無神論をベルグソンもまた共有していると捉えたからこそ、ベルグソンを思想上の同士あるいは先達として、高く評価する気になったのであろう。





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