小川和男「ロシア経済事情」:ソ連崩壊後のロシア

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小川和男は、ソ連時代から日ロ友好にかかわってきた実務家だそうで、その立場からソ連崩壊後のロシアの事情を主として経済面に焦点を当てて解説したのが、岩波新書に入っているこの本「ロシア経済事情」である。刊行したのは1998年11月であり、その年の夏ごろまでをカバーしている。要するにソ連崩壊から1998年夏ごろまでの、ロシアの経済変動を対象としているわけである。

その期間のロシアの経済変動を小川は次のように要約している。「旧ソ連解体、『ショック療法』の導入、未曽有のインフレーションの持続、生活水準の急激な低下、長い社会主義時代に形成された様々な価値やモラルの喪失、そうした要素が重なり合って起こった経済的・社会的混乱にロシアの人々は疲労困憊していた。だが1995年夏頃からロシアの政治・経済には総じて落ち着きがみられるように」なったものの、1998年夏の金融危機とルーブリの大幅下落により、ロシア市民は再び生活に痛打を浴びた。要するにソ連解体後のロシアは、こと経済に関しては失敗続きだったということになる。その原因を小川は、エリツィンのIMF依存に帰している。IMFのめちゃくちゃな要求が、ロシア経済を破綻させたというのである。IMFはアジアの金融危機にさしいても、支援を求める国に無理難題を吹きかけ、かえって経済を悪化させたことがある。それと同じことをロシアにも対しても行ったわけだ。

ともあれ小川は、上記で羅列したロシア経済変動の特徴について、それぞれ簡単な分析を行っている。そのうち最も興味深いのは、ロシア経済の没落に伴って、ひどい目にあった層の存在が、今後のロシアの方向に大きな影響を及ぼすだろうと匂わせていることである。ロシアには人口の二割を占める年金生活者のほか、公務員、教師、医師といった人々が、インフレによって経済基盤をおかされ、また時流の変化に取り残された。こうした不満層が多数を占めるのでは、ロシアの政治的な安定が脅かされることにつながる。じっさい、ロシア共産党は1995年の下院選挙で第一党になり、1996年の大統領選挙では、共産党のジュガーノフがエリツィンと僅差の戦いをしたのだった。それはロシア社会における、負け組というべき人々の怨念を背景にしていたと小川は分析するのである。おそらくそうした怨念のようなものが、やがてプーチンのポピュリズムを支えることになるのであろう。

もっともこの本は、プーチンについては全く触れていない。プーチンが首相になるのは1999年8月のことであり、この本の刊行から一年後のことだ。しかもその翌年2000年には大統領選挙に勝利している。この本が書かれた時点で、プーチンが全く影も感じさせないというのは不自然だが、事実は、プーチンはエリツィンによっていきなり首相に任命され、その後急速に権力基盤を確立していくのである。そのプーチンに拍手喝さいを送ったのは、おそらく上に触れた不満層だった可能性が高い。

そうした不満層は、経済的な没落と並んで、政治的な幻滅も味わされた。ソ連時代には、世界の大国としての自負があったのに、いまやソ連はばらばらに解体され、ロシアはもはや大国とは言えなくなった。人口もかつての2億9千万人から1億5千万人に半減した。人口の減少を追いかけるように、政治的な威信も消滅し、いまやロシアは二流国家扱いされる始末だ。そういう不満が、ロシア人のナショナリズムの感情を刺激したことは否定できない。プーチンはそうしたナショナリズムの感情を動員することで、自分の権力基盤を強化していった言えるのである。

繰返しになるが、この本はプーチンには一切ふれていない。だが、プーチンが登場するための条件が、ソ連解体から20世紀の最後の年までの間に形成されたと、この本によって確認できるのである。

この本は、ロシア経済の変動を巨視的な視点から総括するにとどまり、個別の現象、たとえば民営化の実体とか権力闘争の流れとかいったことにはほとんど触れるところがない。エリツィンの失敗についてもあまり触れない。エリツィンが利己的な人間で、ロシア全体のことには関心をもたなかったとは書いているが、かれのためにロシアがどれほどの苦悩を味わされたかについて、詳細な言及はない。新書の性質を考慮するにしても、物足りないところである。





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