ルーマニア映画「エリザのために」:娘のために必死になる父親

| コメント(0)
romania05.elisa.jpg

2016年のルーマニア映画「エリザのために(クリスティアン・ムンジウ監督)」は、娘のために必死になる父親をテーマにした作品。それに現代ルーマニア社会への批判を絡ませてある。ルーマニアには個人が人生をかけるような意味がない、そう考えた父親が娘に明るい未来を託す。ところが娘には思いがけない試練が待っていて、未来へと順調にはばたけないかもしれない。そんな事態に直面した父親が、自分のすべてをかけて娘のために必死になる。そんな父親の姿を、映画は淡々と写しだすのである。

主人公の父親はさる病院(警察病院らしい)の医師である。かれは民主化後にルーマニアに戻ってきた。そこで一旗揚げたいと思ったのだが、民主化とは名ばかりで、ルーマニア社会は人生をかけるに価しないものに思えた。そこでかれは、一人娘をイギリスの名門大学(ケンブリッジのことらしい)に留学させようと考える。ところが高校の卒業試験の間際に、娘は暴漢に襲われ、心に傷をおってしまう。試験どころではなくなり、このままだと留学に必要な成績を上げることができなくなる。それを危惧した父親が、コネを使ったりして、娘の試験結果を捻じ曲げようとしたりする。そんな父親を娘は、耐えられないと思うのだ。

父親は娘の教育方針をめぐって妻と対立し、夫婦関係は悪い。しかも父親は、ある子持ちの女性と不倫関係にある。娘が襲われたそのとき、父親は学校の手前で娘を車からおろし、愛人のところへ駆け付けたのだったが、その間に娘は暴漢に襲われたのだった。だから父親は娘に対して大きな負い目を感じている。その負い目のようなものが、かれを異常な行動に駆り立てる一因にもなるのである。

父親のこうした努力にかかわらず、娘のイギリス留学はとりやめになりそうだし、妻との離婚話も進む。父親は八方ふさがりに陥るのを感じる。だが、都合のよい出口は見つからない。唯一の救いは、愛する娘が父親の自分をまだ愛してくれていることだ、というような内容である。

ルーマニア社会への批判意識という点では、まず治安の悪さがあげられる。娘が白昼路上で強姦されたことに父親が激高して、イギリスでは若い娘が路上で強姦されるなどありえないと叫ぶシーンはその象徴的なものだ。脱走兵が市街に潜伏し、それを警察が追うところも治安の悪さのあらわれと考えることができる。一方、コネとか利害の結びつきを通じて私益をはかることがまかり通っているのは、ルーマニア社会のもう一つの腐敗現象だろう。もっともその腐敗に、ルーマニア社会を呪っている当の主人公が、あずかっているというのは実に皮肉なことだ。






コメントする

アーカイブ