ジャック・デリダの思想:脱構築の哲学を読み解く

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ジャック・デリダ(Jacques Derrida 1939-2004)といえば、「脱構築」という言葉が真っ先に浮かんでくる。この言葉の意味は、とりあえずは、デリダ自身が属する西洋的なものの考え方を根本的に解体しようとする意思を示すものだ。「脱構築」は、フランス語では deconstruction といい、解体というような意味を持っているから、デリダの意図をあらわすにはふさわしい言葉だったわけだ。そういう意味で「解体」という言葉を使った哲学者にハイデガーがいる。デリダがハイデガーから強い影響を受けたことは明白な事実なので、かれの「脱構築」がハイデガーの「解体」の延長にあることは間違いない。そのハイデガーは、西洋思想の解体という思想を、ニーチェから受け継いだ。ニーチェが主張していたことは、プラトン的・キリスト教的な賤民の道徳を解体し、それにかわってエリートにふさわしい力の崇拝をめざすものであった。それをニーチェは、「金髪の野獣」に相応しいあらたな力の発現というふうに表現したが、その内実は必ずしも明らかとはいえなかった。

ハイデガーの場合には、西洋思想の解体の結果浮かび上がってくるのは、ドイツ的な民族精神である。ハイデガーによれば、世界中の民族のうち、真の精神性を体現しているものはドイツ民族以外にない。ところが現実の世界は、ドイツ民族以外の劣った民族が跋扈している。それらの民族の言動は、プラトン的・キリスト教的な道徳意識によって支えられている。そうした道徳意識は、ニーチェが鋭く指摘したように、賎民の道徳を反映したものである。だから、人類がもっと力強く発展するためには、そうした賎民の道徳を廃して、ドイツ的な民族精神に立脚したあらたな基準を再構築せねばならない。そうハイデガーは考えたのであったが、それはデリダの目には、さすがに馬鹿げたものに映った。

デリダは、既成のプラトン的・キリスト教的道徳を解体し、そうした道徳のうえに構築された思想を脱構築したあとに、果たしてどんなものを、全く新しい枠組みとして用意すべきなのかについて明確な答えを用意することを迫られたわけだが、それに成功したとは言えない。それゆえデリダは、ニーチェとその衣鉢を継いだハイデガーのエピゴーネンとして、既存の体系の破壊者として振舞ったというような評価をうけることともなった。じっさい、そうした評価には根拠がある。デリダは既成の思想を解体するのに急なあまり、それにかわるべき代替的な体系を用意するまでにはいたらなかったのである。

デリダは、ユダヤ系のフランス人としてアルジェリアに生まれた。彼自身は生涯を通じて、ユダヤ人としてのアイデンティティはあまり持たなかったようだ。フランス人としてのアイデンティティも弱かった。フランス人からも正当なフランス人とは認めてもらえなかった。アルジェリア人としての自覚はないに等しかった。つまりかれは、特定の民族とか文化とかに生まれながらの所属意識を持たなかったのである。そんなことが、かれをコスモポリタンに仕上げた。かれがハイデガーにひかれながら、その露骨な民族主義にうんざりしたのには、十分な理由があったわけである。

とはいえ、デリダは思想家としてのキャリアのスタートから、ハイデガーのいうところの西洋思想の解体に強くこだわった。かれは当初それを、「西洋形而上学の批判」という言葉で表現し、解体とか脱構築という言葉を意識的には使わなかった。ただ、西洋思想の枠組を作ってきたさまざまな概念を徹底的に批判することで、その事実上の解体を狙ったのである。

そのかれの形而上学批判は、とりあえずは、フッサールの現象学とかソシュールの言語学のタームを駆使することで行われた。つまりデリダは、既成の哲学の言葉を使って、その哲学の批判を遂行したわけである。それらの言葉には、差延とか、反復とか、現前性とか、さまざまものがある。それらの言葉を、それとして使うほかに、意味をずらしながら使うこともあった。差延という言葉がその典型例である。この言葉は本来差異を意味するものであるが、単純な差異ではなく、独特なニュアンスを持った差異、という意味合いで、差延という言葉を造語したのであった。とはいえ、デリダが、既存の哲学の言葉を使いながら、その既存の哲学を、体系もろとも「脱構築」、つまり解体しようとしたことは明らかである。

デリダが、形而上学批判を徹底したのは1967年のことである。その年、彼は、現代哲学にとって重要な意義を持つ著作を三冊刊行した。「エクリチュールと差異」、「声と現象」、「グラマトロジーについて」である。これらはいずれも西洋の伝統的な思想である形而上学の批判にあてられていたものだったが、なかでも「グラマトロジーについて」は、言語の分析を通じて、西洋思想の徹底的な批判・解体に成功したものである。この著作によってデリダは、「脱構築」の哲学者としての名声を確立したのであるが、彼自身は、この本の中ではその言葉を意識的に使っているわけではない。おそらく周囲が彼の哲学を「脱構築」の哲学となづけ、それをかれが受け入れたということではないか。

西洋形而上学の徹底的な批判とその解体を成し遂げたあと、デリダの使命は、解体されたものにかわる新たな枠組を提示することにあったはずだ。周囲も当然そのことを期待した。「グラマトロジーについて」以降デリダの発表する著作には、そうしたデリダへの期待がこめられていたわけだ。だが、デリダはその期待に応えたとはいいがたい。かれはあいかわらず、伝統的な思想を手玉に取った言葉遊びのようなものに耽った。言葉遊びを好む傾向は、ハイデガーにもあって、そのハイデガーの影響を受けた哲学者は、大体言葉遊びに耽る傾向が強いのであるが、それはおそらく本質を見失っていることの現れであろう。デリダにもものごとの本質が分かっていなかった可能性がある。でなければ、「グラマトロジーについて」以降に書かれた膨大な著作群が、西洋思想にとってなにか有意義なものを持ち出すことのなかった理由が説明できない。

こんなわけで、ジャック・デリダの思想上の営みは、「グラマトロジーについて」で終局を迎えたといえる。それ以降の営みは、変奏曲の演奏のようなものである。それゆえ、ジャック・デリダについてのこのサイトでは、もっぱらかれの初期の思想に焦点を当てながら、それが現代哲学にとって持った意義を考察したいと思う。






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