アイザック・ドイチャー「ロシア革命五十年」を読む

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アイザック・ドイチャーが「ロシア革命五十年」と題した講演をしたのは1967年のこと。その年にかれは死んでいるから、いわば遺言のようなものだ。終生マルクス主義者として革命の理念に忠実だったかれに相応しく、ロシア革命の歴史的な意義について、革命五十周年という記念すべき時にあたって、自分なりの評価を下したものだ。その評価の基準は、一方ではスターリニズムを厳しく批判しながら、社会主義革命そのものの可能性を信じるというものである。かれがスターリニズムを批判するのは、それが一国社会主義の方針に基づいていたために、狭隘な条件に制約され、社会主義本来の姿とは異なってしまったという理由からである。本来の社会主義は、資本主義の高度な発展を踏まえ、国際的な規模でおこらねばならない、そう考えたわけだが、その考えをかれはとりあえずトロツキーから受け継いでおり、その点ではトロツキストとみなされ、また自分自身そのことを認めていた。

ドイチャーはスターリニズムを厳しく批判するが、そのことでロシア革命の意義そのものを否定するわけではない。ロシア革命は、資本主義が未熟な国で起きたために、マルクスが革命に必要な条件としてあげていたものを欠いていた。そのため社会主義革命としては変則的な事態に陥ったが、それが社会主義革命を目指していたということは認める。そのうえで、ロシア革命を世界革命の先駆的な試みとして位置づけ、やがて実現するはずの世界革命の一環として包摂できるはずだと考えた。ドイチャーはロシア革命を「未完の革命」という言葉で特徴づけるのが好きだったが、それはロシア革命を世界革命に関連付け、その先駆的な試みとして考えるからである。

ドイチャーがこの講演をしたのは、ロシア革命から五十年後のことであり、その時点では、とても理想的な社会主義が実現されているとは考えなかったが、やがて資本主義の矛盾が深まり、世界革命が実現する条件が整えば、その革命全体の付置のなかにロシア革命が位置づけられることとなり、ロシア革命の経験が、あらたな革命にとっての教訓となるだろうと考えた。

だがドイチャーの予言はいまだに実現していない。それどころか、最初の社会主義国家であったソ連は解体され、社会主義は明らかに失敗したという言説が支配的になった。ソ連が解体されたのは、ドイチャーがこの講演をしてからわずか二十数年後のことだ。まさかそんなに早くソ連がなくなるとはドイチャーも考えていなかっただろうが、しかし、ソ連が解体するにいたった矛盾の存在については、ドイチャーも気づいていた。その矛盾は、スターリニズムが抱えていた共産党の官僚主義である。その官僚が事実上階級にかわるような既得権益層を形成し、それが一般市民から浮き上がってしまうことで、社会全体の分断と、市民層の権力への怨念を生み出す。その怨念が、共産党権力の打倒と、エリツィンの台頭を導いたといえる。

ドイチャー自身は、その矛盾がソ連の解体につながるとまでは思っていなかったようだ。ソ連の解体が不可避となるまで矛盾が激化する以前に世界革命が実現し、新しく生まれた社会主義世界のシステムの中に、ソ連も吸収されていくだろうから、全体との相互作用を通じて、特殊ソ連的な矛盾も解決されるに違いないと考えていたようだ。その点ではドイチャーは楽観的だったといえる。だが現実はそうした楽観主義をうちくだき、ソ連は解体した。

そうした歴史の流れを知っている者から見れば、ドイチャーはきわめてナイーブにうつる。ドイチャーの歴史的な意義は、世界革命の実現可能性如何にかかっているといえる。世界革命が実現可能であれば、その実現プロセスの一ステップとしてロシア革命を位置づけることができる。だからロシア革命の経験は、プラス・マイナスの両面から貴重な教訓として役立てることができる。ロシア革命についての研究にも多大な期待をもつことができよう。だが、もし世界革命を不可能事として見れば、ロシア革命には世界史上の巨大な意義は認めることはできなくなる。それは歴史の戯れが生み出した、壮大な茶番劇のようなものになりさがる。

じっさい、ロシア革命を歴史上の茶番劇と見たがるような言説が、ソ連解体後には支配的になっている。世界はマルクスの予言した方向とは反対に、資本主義システムが唯一の持続可能なシステムとして機能するような方向に向かっている。資本主義は人類が獲得したもっとも合理的なシステムであり、それにかわるものはない。社会主義などというものは、人類の一部のしかも劣悪な連中が思いついた欠陥システムに過ぎないといった言説がますます声高く叫ばれている。

もっともそうした言説が、党派的な動機からなされるものであってみれば、資本主義が持続可能なシステムかどうかについては、大いに議論の余地がある。問題は、ソ連型の社会主義を社会主義の正当な実験だったと見るかどうかだ。それが社会主義のもっとも正当な実験だったと認めれば、ソ連の崩壊は社会主義システム全体の破綻ということがいえる。だが、社会主義に他の可能性を認めれば、議論の方向はまた違ってくる。じっさい資本主義の矛盾はなくなったわけではなく、資本主義が唯一持続可能なシステムだというわけでもない。

ドイチャーは、ソ連型社会主義は、社会主義の実験としては本来の姿から逸脱したところが多かったが、社会主義の実験であったことは違いないという立場に立っている。だから、ソ連が崩壊したことは残念なことであったが、しかしそのことを以て、社会主義全体に懐疑的になる理由はないというであろう。






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