哲学の歴史は終わったか:落日贅言

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小生は年少のころから哲学書を読むのが好きだった。生来夢想がちなところがあって、ちょっとしたことでも、それが自分にとってどんな意味を持つのか、突き詰めて考えずにはいられなかった。しかもそういう疑問は時と所をえらばず、いきなり心に浮かぶので、小生は、あのソクラテスのように、道の真ん中で歩みをとめ、じっと考え続けるというようなことがしょっちゅうあった。そのため、学校の開始のベルに間に合わなかったこともよくあったくらいだ。その疑問というか、自分を突然襲う問いかけのようなものが、小生を哲学への親近性へ導いたのだと思う。

小生が初めて哲学書に手を出したのは高校生の時である。何年生のときだったか、くわしくは覚えていないが、倫理社会の授業で、教師が実存主義について熱っぽく語っているのを聞いて、哲学を本気で呼んでみようという気になったのだった。小生が最初に手に取った哲学書は、サルトルである。当時筑摩書房から出ていた世界文学シリーズの一冊にサルトルのものがあって、そこには、小説や戯曲の類と並んで、「存在と無」のダイジェスト版が入っていた。小説と戯曲はすんなりと頭に入ったが、「存在と無」のほうは、そうはいかなかった。哲学書を読む訓練を受けていないものが、いきなり読んでも、簡単にはわからないように書かれているのである。

その後、デカルトやカントを読んで、哲学特有の語彙とか言葉遣いに少しずつ慣れていくうちに、それまで理解できなかったサルトルも、多少は理解できるようになった。しかし理解できれば、その理解の程度に応じて、哲学への疑問も起こってきた。こうした疑問は、哲学という対象をそれなりに把握していないと浮かんでこないものだ。だから、そうした疑問が浮かんでくるというのは、小生なりに哲学修行上の進歩だったわけだ。

その疑問をいまわかりやくす表現すると、哲学する(哲学を読んだり書いたり考えたりする)ことにはどんな意味があるのかというものだった。自分が読んでいるのは西洋哲学の書物であり、その西洋哲学にはギリシャ以来の長い伝統があるので、それ自体が壮大な体系である。その体系には、人間が考えられるかぎりのあらゆる問題が含まれているので、そうした問題を解くだけでも、大変な時間がかかるわけであり、したがって普通の人間なら、そうした問題と向き合うことに一生をかけてもまだ間に合わないほどである。つまり、哲学することには人間を退屈させないだけの広さと深さがあるわけである。だがその広さや深さが、自分にとってどんな意味を持つのか、というのはまた別の問題である。小生についていえば、哲学すること自体に何の意味があるのか、というような、言ってみれば~哲学の用語を使えば~根源的な疑問を感じたということである。

この根源的という言葉は、マルクスが好んで使ったもので、小生も大学時代にマルクスを読むことで使い方のコツを覚えたのだった。根源的というのは、西洋諸語では、根っこを意味する単語と結びついていて、ものごとを、地上に現れている部分だけで判断するのではなく、根っこを含めた全体としてとらえるべきだということをとりあえずは意味している。あるいは、根っここそが、全体を支えているのであるから、根っこの把握なくして全体の把握もなく、したがって物事の本質も見えてこないということである。この本質という言葉も、哲学用語として使われると、いろいろややこしい議論を呼ぶのだが、いまはそれには触れないでおこう。

ともあれ、高校生の小生には、哲学に対する疑問が浮かび上がったといっても、その疑問は、まだ根の浅いものであって、したがって根源的な疑問とまではいかなかったが、それでも、なんのために哲学するのかという疑問は、やはり大変な疑問であって、それに自分なりにこたえることがなければ、哲学することに意義を感じることはできない。そうした感じは、大学に入って、哲学の書物を広く読むようになって、いよいよ強まっていった。だが、小生が大学で主に学んだのは社会科学と呼ばれるような学問分野であって、哲学を集中的に学んだわけではない。せいぜい文学部のキャンパスに出向き、名前は忘れたが、実存主義の研究者として知られる某教授の授業を聞いていたくらいであった。

大学を卒業すると、小生はすぐに、東京に事務所を置くさる公共団体に就職し、世俗的な生活を始めたので、とりあえず哲学とは無縁な身分になった。世俗的な人間としての小生に必要なのは、哲学などといったものではなく、出世のための世間知だったからである。もっとも小生は生来不器用にできていて、世間知に通じることにも失敗したおかげで、出世には無縁な生き方に終始した。

だから、世間で言う定年年齢に達すると、とりあえずは食いっぱぐれのない身分に甘んじて、あらゆる世俗的な活動から遠ざかり、若い頃の疑問に向き合うことにしたのであった。その疑問とは、まずは哲学することに何の意味があるのかということであり、また、人間が生きることにはどんな意味があるのかということだった。還暦を過ぎた老人がこんな疑問にとわられる姿は、はた目には異常にうつるだろう。たしかにそんな疑問は若い人が未来に向って投げかけるものであり、人生の晩年に達した老人がこだわるようなものではないかもしれない。だが、小生の場合には、若い頃に取りつかれた疑問に、生きている間に、何らかの回答を与えないでは、安心して死ねないのではないか、という不安があったのである。その不安を、仏教では煩悩と言うそうだが、煩悩にとらわれたままでは、安楽に往生することができないのではないかという不安が、還暦を過ぎた老人である小生を、年甲斐もなくとらえたのである。

小生はサルトルを読むことから哲学を始めたこともあって、老年にいたって西洋哲学を学びなおすについては、フランスの現代思想と呼ばれるものを中心に、いろいろな哲学書を読んだ次第であった。老後十五年かけて西洋哲学を読んでの印象は、西洋哲学には、独特の進歩史観が働いていて、人間というものは、つねに未来に向って進歩し続けるものだという考えが、信仰のような強固な信念になっているということだった。ヘーゲルによって代表されるそうした進歩史観は、マルクスにもあって、マルクスは、人類は直線的な発展の末に究極の終末を迎えると考え、それを共産主義社会と呼んだのであるが、では、そんな究極に達した人類は、すべての進歩を経過したことになり、もはやなすべきないものもないのではないかという疑問が湧くのは自然である。小生が若い頃に抱いた疑問も、そのようなものではなかったか。人間は、理想をすべて実現して、ほかになすべきものがなくなると、もはや生きている意味も失うのではないか。生きている意味がないのであれば、哲学することの意味はもっとないわけである。

こんなことになるのは、西洋哲学が独特の進歩史観に毒されているからで、進歩にこだわらない、もっとおおらかな視点に立てば、世界とか宇宙とか人間についての見方もまた違ってくるのではないか。そうした進歩史観に代替するような別の視点にもっとも強く執着したのがフランス現代思想だった。それは、サルトルにはじまり、構造主義をへて、デリダとドゥルーズに至る流れであり、それをごく単純化して言うと、西洋の伝統的な哲学である形而上学を解体して、別の思想システムを構築しようとするものである。そうすることで、西洋哲学を駆動してきた伝統的な思想を脱構築し、新たな時代にふさわしい思想のシステムを構築することで、人類に生きる気力を奮い立たせてやることができる。そうデリダとドゥルーズが考えるようになったというのが、西洋哲学の歴史の概括である。

だが、西洋哲学のもっとも徹底した批判者であるドゥルーズが達した結論は、西洋哲学の歴史を否定しながら、じつは哲学の歴史そのものを否定するテイのものであった。ドゥルーズは、進歩史観を否定して、ニーチェ流の循環史観を提示したのであったが、循環史観というのは、歴史の否定である。歴史を否定するというのは、未来の可能性を否定することにほかないから、人類を現在に縛り付けるということに他ならない。いま現在ある世界よりましな世界はどこにもありえないのであるから、その世界に満足せよというのが、哲学的な大げさな外観はともなってはいるが、案外正直な彼の主張なのである。

ドゥルーズの哲学を云々することがここでの意図ではないので、これ以上は言わないが、一つだけ言っておきたいのは、歴史の否定は人間性の否定につながるということだ。なぜなら人間というものは、歴史という形で自己を形成し、歴史の中で自己を実現するような存在だからだ。だから、哲学の歴史は終わったということは、人間もまた存在する意味を失ったというのと異ならないのである。

ひとつ困ったことは、デリダとドゥルーズ以降、フランスはもとより世界の哲学の世界から、新しい思想家が現れなくなってしまったことだ。まるで、哲学の歴史が実際に終わってしまったかのようなのである。なぜそんなことになったかについては、別稿で改めて取り上げてみたいと思う。





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