ダルデンヌ兄弟「その手に触れるまで」:ベルギーのイスラム・コミュニティ

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ダルデンヌ兄弟の2019年の映画「その手に触れるまで(Le Jeune Ahmed)」は、ベルギーのイスラム・コミュニティを描いた作品。一人のまだ幼い少年の信仰心がテーマだ。その信仰心は、かれらの外部であるベルギー社会と摩擦を起こすとともに、かれら自身のコミュニティの内部でも、世俗的傾向の強いグループと原理主義的なグループとの対立を引き起こす。この映画はそうした対立に直面した少年が、宗教的な熱情に駆られて人身犯罪を引き起こし、その結果少年刑務所に収用されるさまを描く。その描き方は、基本的には価値中立的といえるが、非イスラム社会にとっては、宗教的な行き過ぎともとられかねないところがあり、差別感情を引き起こす可能性がないとはいえない。

主人公の少年アメドは、導師の影響で、イスラム原理主義の信仰に凝り固まる。その信仰心からかれは、普通の人の眼には異常と映るような行動を繰り返す。熟の女教師を侮辱したり、自分の母親さえ、酒を飲むことを理由に堕落した女と決めつける。化粧をしている女性を見ると売春婦呼ばわりする。そして、どういうわけか、熟の女教師に殺意を抱く。その教師は、子どもの頃からかれに強い愛情を注いできたのだ。ところが、世俗的な生き方をしているという理由で、イスラム・コミュニティの中には、彼女を憎む者もいる。アメドの導師もそのひとりだ。その導師にそそのかされる形で、アメドは女教師を殺害しようとするのである。

計画は失敗し、かれは少年刑務所に収容される。そこで自分のしたことについて考え、次第に社会性に目覚めていく、といった内容である。最も大きな課題は、女教師に対して自分のしたことを謝罪し、また周囲の社会に対しても、寛容な態度で接することができるようになることである。それはなかなか困難なことで、かれは自分のしたことの意味を理解するのに、長い時間を要する。

ひとつ救いなのは、社会復帰訓練の一環として、農場の仕事を手伝う時間を与えられることだ。その仕事を通じて様々な人たちと接し、それを通じて社会生活の基本ルールを学んでいく。その農場には、同じ年ごろの少女がいて、なにかと世話をしてくれるが、それは彼が好きだからだった。少女は少年に愛を打ち明けるが、少年は、異教徒とは付き合えないと言い、もしつきあうとしたら君がムスリムにならねばならないと答える。そんな少年を少女は理解できない。

少年にとって、少女との関係より大事なことは、女教師に謝罪し、社会に受け入れられることだ。そこですきを見て脱走し、女教師の住んでいるアパートに赴く。エントランスが閉まっていたので、壁沿いに彼女の部屋まで這い上ろうとしたところ、足馬が崩れて地面に落下し、大けがをする。どうやら腕を骨折したようである。そんな少年を見つけた女教師が、救急車を呼ぼうとする。そこで映画は終わるのだが、おそらくそれがきっかけで、二人は和解できるだろうと感じさせるのだ。

物語設定としては多少の甘さを感じさせるが、それは少年の未熟さに見合ったものと思われないでもない。





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